2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

いまにしておもえば、深川区(現在の江東区深川)にあつた私塾の無名の教師は、そのような「性」的な駘蕩と禁欲的な勉学との均衡についても、たくみにわたしを方向づける教師であつたようにおもわれる。そして、それは「書く」ということについてわたしの直接の教師であつたことを意味している。(過去についての自註)

この私塾は吉本が自らの「黄金時代」と呼んでいる少年期から青年期の初葉までの時期に通った私塾で、そこの教師が吉本に多大な影響を与えました。そのことは何度か解説したと思いますので同じことを繰り返してもしょうがないですが、なにが多大な影響を与え…

後年、照合したところでは、『荒地』の詩人、北村太郎、田村隆一なども、わたしなどとちがつて一種の早熟な詩的少年として、この教師を囲んで時として集まる詩的グループのメンバーであつた。しかし、この私塾の教師は、わたしにとつて何よりもひとつの態度の教習場であり、その意味は、わたしにとつて詩作よりも、もつと深い色合をもつていた。わたしが、いくらか会得した、放棄、犠牲、献身にたいする寛容と偏執は、父とこの教師以外から学んではいない。(過去についての自註)

北村太郎や田村隆一が少年のころ、この今氏さんを囲む詩的グループに参加していたということは今氏さんも詩を書く人だったんでしょうね。 この場を借りて、「母型論」に関することを補足したいと思います。何度か解説のなかで触れましたが、吉本はアフリカ的…

政治経済学 若し社会変革といふことが人類の理想であり得ないならば、我々は概的に経済現象を法則化するところの理論経済学だけで充分であり、敢てポリテイカルな経済学を必要とせずに、未知の経済現象を解明することができる。(断想Ⅲ)

この初期ノートの部分が書かれたのは1950年頃のようです。その頃と現在の経済構造はまるで違うと思います。なによりマネー経済が膨大化したことです。物やサービスの生産による実体経済の規模をはるかに超える規模の貨幣だけが回るマネー経済が世界を動き回…

一つの量から一つの量へと移行することは、一つの飛躍であると考へられる。(断想Ⅳ)

飛躍というのは量から質への変化ということなんだと思います。だからなんなの?ということですが、なんなんでしょう。この断章は倫理について書かれているなかに突然書き込まれているようなものなので、なにを言いたいのかよくわかりません。だいたい発表し…