僕達はその自分を自然に表はすやうな文章を書くと共に、その表はされた文章を正しく読み取り得る様に努力しやうではありませんか。他人の文章を理解し得ると言ふことは、他人を理解し、正しく洞察し得ると言ふことです。(巻頭言)

他人の文章を理解するということが他人を理解し洞察することだという素朴な文章観もまた吉本の戒律であり思想であるものです。ほかの人間を深く理解しようとして幾多の作品の批評を行ってきたのが吉本の人生だといってもいいと思います。吉本の社会思想や歴史思想にはその社会や歴史に生きたにんげんの内面の理解についての蓄積がこめられています。たとえば吉本の源実朝についてのすばらしい評論がありますが、その実朝論には作品理解と人間理解と歴史理解と歴史社会の理解の融合した徹底したすがたをみることができます。内面史としての歴史という吉本の構想もそうした仕事の延長からでてきたものだと考えられます。

「対幻想 n個の性をめぐって」 吉本隆明 (聞き手 芹沢俊介)1985春秋社より

ひとつは、ドゥルーズガタリのもっているユートピア社会のイメージのなかでは、家族というものの水準は、共同社会のなかに完全にめり込んじゃっているといいますか、同一化しちゃっている、それが理想社会のユートピアのイメージとしてあるということだとおもうんです。これは、とくにガタリだとおもいますが、ユートピア社会とかコンミューン社会とかにたいするそうとうな誤解にもとづいているだろうとぼくにはおもえます。だけどそれが、完全に前提になっています。