2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

余剰の精神といふものがあつて、それはこの世の全価値よりも自分の価値がほんの少し巨きいといふ風にも説明されるが、逆にこの世の価値物らしい価値物がすべて他の精神に占取された後に、自らの精神が取得する悲しみや瞋怒や若干の愁ひをも含んだ精神的余剰物と考へる方がより適切であらう。(方法的制覇)

私たちは自分で考えているようにみえても、テレビや本などで他人が言っていることを基に考えているにすぎないことが多いでしょう。特に直接は知らない事柄で知識や情報によって知るしかない社会的なことや政治的な事柄になると、アリエッティじゃないけど、…

忘れるといふのは美しい獲取であつて、若しそれが精神にとつて無かつたとしたならば、人間は絶えず消費を感じてゐなくてはならない筈だ。(方法的制覇)

初期ノートを書いている若い吉本にとって忘却は美しい獲取と感じられるかもしれないけど、老いぼれてきて物忘れがひどくなってくるとあんまり美しいとは思えないですね。とはいえ脳の老化による物忘れと、無意識に送り込んでいく忘却には違いがあるのでしょ…

僕は情意のなかに混沌せしめられたとき、建築の間を歩むことを好んだ。単純な直線と曲線、影と量とが、僕を限定してゆくとき、僕の精神に均衡と比例とが蘇へるのを感ずるのであつた。(〈建築についてのノート〉)

人間関係で心が乱れるようなとき、吉本はビル街などを歩くと落ち着くということですね。こういう好みをもっと緊張度を高めた表現で書いたものが「固有時との対話」という詩のなかにあります。ちょっと引用してみましょう。 建築は風が立ったとき動揺するよう…

剰余価値は、高度資本制の複雑な機構下においては、最早余り意味がないのではあるまいか。むしろ注目すべきものは固定資本量の生態(膨張してゆく)である。(エリアンの感想の断片)

これはちょっとお手上げですね。よくわかりません。剰余価値というのはマルクス経済学の概念で要するに労働者が自分の労働の価値として給料をもらうわけだけど、その給料として払われる価値以上の価値を労働によって作り出す、その余った分の価値だから剰余…