2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

若し自由といふものを現実的に規定するならば、それは本能に帰着する。斯かる規定は形而上的ではなく、形而下的となる。即ち社会学乃至は経済学に帰着される。(形而上学ニツイテノNOTE)

自由というものを人間にとっての自由と考えれば、それは人間の人間的な欲求を充たすものということになりましょう。人間的な欲求を人間の本能と言い直せば、自由は人間的な本能が規定するわけです。人間的な本能は動物的な本能を基底にして、そこに人間的な…

社会学乃至経済学を原理的に規定するものは、生理学乃至は生物学である。(形而上学ニツイテノNOTE)

人間の人間的な本能に社会が規定されるならば、生理学とか生物学が人間の本能を追求するのだから、社会学も経済学も生理学、生物学に規定されるということを言っているわけです。こうした学問の枠を超えた追求の姿勢が、人類の歴史を胎児期の人間のあり方に…

静寂のうちに用意されたひとつの悲しみ。精神は空の色のなかに昔々秘されたひとつの予望を堀り出さうとしてゐた。僕は沢山のことをしようとは思はず、唯ひとつのことをしようと思つてゐた。赦された者は幸ひであるかな。(忘却の価値について)

これだけ読んでもなんのことやらわかりませんよね。わからなくて当然だと思いま す。ひとつの悲しみとは何なのか。ひとつの予望って何なのか。唯ひとつのことって 何なのか。赦された者ってどういうことか、「さっぱりわからない」(BY福山雅 治)吉本らし…

もう何の危惧もなくなつてゐる。残されたものは唯ひとつの可能だけだ。(忘却の価値について)

唯ひとつの可能って何?それは言わないわけですよ。ああアレだろうな、と思えばつ まりたぶんソレだろうねということです。なんでも言えば済むわけじゃない。言わな い言葉、言えない言葉を聞くという、それが大衆の無言のことばを聴くということで もあるん…