2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

僕は冷酷な孤独を知つた。それについて今は何事も語らうとは思はない。その時から僕は笑ひを失つて理論と思考とに没入した。僕は均衡を得ようとした。しかも充たされた均衡を。敗残のほうへ傾いてゆく僕の精神は何と留めるにつらいものであつたらう。僕は急に老いたと思つた。青春の意味は僕から跡形もなく四散したと言ふべきだつたらう。(原理の照明)

これは「母型論」とも関連することですが、にんげんが育てられる主として母親との関係というものと、その育てられた者の共同体に対する感覚ということには対応性が考えられるというのが吉本の思想です。つまりどう育ったかということと、そいつが社会や集団…

寂しさと呼ばれてゐる状態は、やはりひとつの止つた状態であつて、僕は速度によつてそれを消すことがいちばん易しい方法であると思ふ。(断想Ⅲ)

無意識のなかの受け身の感受性が共同体の強いてくる秩序の感性に合致している状態を「明るさ」とみなすことができます。明るく健康的という感性にはそうした無意識と共同体との合致がある。しかしその合致に疑いが生じ、あるいは容赦なく切断されたらどうな…

絶望はその冷酷度を増した。一九四八年から一九五〇年初頭におけるニポニカ。アルダンとソルベエジユの対立の激化。アルダンに強制された経済政策。エリアンの心は救ひがたいまでに虚無的になつてゐる。(序章)

ニポニカというのは日本のこと、アルダンとソルベエジユというのはアメリカとソ連。エリアンというのは吉本が書いた「エリアンの手記と詩」という長編散文詩の主人公で吉本自身を仮託したものです。初期ノートのこの部分は「エリアンの手記と詩」のモチーフ…

僕は一九四五年までの大戦争に反戦的であつたと自称する人たちを信じない。彼らは傍観した。真実の名の下に。僕らは己れを苦しめた。虚偽に惑はされて。何れが賢者であるかは自明かも知れぬ。だが僕はそう明な傍観者を好まない。(風の章)

吉本は戦後、戦争責任論を提起して論壇にデビューしました。その戦争責任論を詳しく述べる余裕はありませんが、戦争中に反戦的であったという人を信じないと言っています。戦争中に公的に戦争否定を述べたり行動することはありえなかった。ただ心のなかで戦…