あるがままの過去を、ないように見せかける必要から、わたしは遙かに遠ざかつているし、ことさら体裁をとりつくろわねばならぬ根拠も、もつていない。(過去についての自註)

この文章は、具体的に考えるとひとつには戦後吉本が評論家として登場したときに「文学者の戦争責任論」を提起したわけですが、吉本は自分が戦争中に戦争を肯定する愛国青年であったことをいっさい隠し立てしなかったことを指すと思います。しかし吉本が戦争責任論で批判した文学者たちは戦争中に戦争肯定的な作品を書いたことを隠したわけです。こうした自らの政治責任を隠すという隠し方以外にも、「あるがままの過去をないように見せかける」隠し方としては、家庭生活の実態を隠すというのもあります。別に家庭生活を赤裸々に暴露しなければならないということではないのですが、家庭生活とか私生活における自分のあり方を共同性の思想のなかに取り入れることをしないという意味でこれも隠しているうちに入れるわけです。共同社会のなかでふるまう自分と、家庭のなかで夫や父親としてふるまう自分と、個としての表現者との自分とは異なるわけですが、そのことに鋭敏でない思想というものを吉本は批判しています。
こういう隠すということに鋭敏な文学者であった太宰治は「如是我聞」という晩年の評論のなかで、当時の学者や知識人の「洋行」について述べています。たとえばパーティなどでその学者や評論家に会ったときには「太宰さん、あなたの本を読んで感激しました。握手しましょう」みたいにふるまう。ところが手のひらを返したように、いっぽうで太宰の作品をこきおろすような文章を書いたりする。この裏表のある態度はなんなんだろう?と考えると、その秘密は彼らの洋行体験のなかにあるのではないかと太宰は書いているわけです。当時洋行したといえばたいへんな箔がつき、田舎なら村の顏役に黙っていても推されるというようなものだった。しかし学者知識人の洋行の思い出というような文章を読むと、誰も外国での生活の悲惨さ、みじめさを書いていない。しかし日本人が外国にいって、みじめさを感じないはずはないと太宰は述べます。

醜い顔の東洋人。けちくさい苦学生赤毛布(アカゲット)。オラア、オッタマゲタ。きたない歯。日本には汽車がありますの? 送金延着への絶えざる不安。その憂鬱と屈辱と孤独と、それをどの「洋行者」が書いていたろう。    「如是我聞」より

洋行の悲惨さを本国の人々に隠すこと、あるいは洋行が悲惨であったこと自体を自己意識として意識し体験を思想化できないこと、それでも洋行がもたらす後進国である母国内での特権だけは享受することは忘れない。こういう学者文化人のあり方を太宰は「ひしがれた文化猿」と呼んでいます。太宰もその鋭敏さのゆえに隠すことを嫌い、自分自身を暴くように暴くように生きて、命を縮めていきました。
それでは「母型論」の解説の続きを書かせていただきます。近親相姦のタブーについての吉本の考え方はジョルジュ・バタイユの思想の批判のなかにも現れています。「書物の解体学」という吉本の著作のバタイユの章があります。バタイユはフランスの哲学者であり作家ですが、バタイユの近親相姦のタブーについての思想は非常に独特なものです。バタイユは近親相姦は抑圧された激越な欲望なのだという観点に立っていると思います。激越な欲望であるから、それを抑圧するタブーは、侵犯することは死を覚悟せざるをえないほどの強烈な禁止であるほかはない。
しかしそのタブーを犯し近親との性行為に身を投じることは、めくるめくような一瞬の恍惚状態を導く。それが最大のエロティシズムだということになります。それを犯せば共同体から極度に断罪されるという意味で、それは共同体を喪うという「死」と隣り合わせのエロティシズムであり、エロティシズムというのはそういう死と接触した場面でもっとも高揚すると考えます。この特異な思想にはバタイユの深刻な体験と手作りの巨大な思想が込められていて、簡単に要約して伝えることのできないものです。
しかし近親姦の禁止という歴史的な問題としてバタイユの思想を考えるときに、果たして近親姦は激越な抑圧された欲望なのか、という疑問が生じます。実際の日本における近親姦の事例を集めてみると近親姦は孤立して内閉した近親の同居という背景のなかで、誰でもそういう状況と場面に当面すれば、そうなりそうなと思わせるような自然性が支配的だと吉本は述べています。バタイユと吉本の実感のもとになる日本の近親姦の事例との間には、アジアとヨーロッパという風土や宗教の違いが想定されるでしょう。しかしバタイユが描くような近親姦の禁止への違反がエロティシズムの価値を極大に高めるという考えは疑念にさらされることは確かです。
では近親相姦の禁止はなぜ歴史的に登場したのだろうか。吉本の考察では、近親相姦の禁止がなぜ生じるかは、アジア的段階にあった人間が氏族共同体のなかで次第に家族を形成するに至り、その個々の家族共同体の氏族共同体からの脱落、孤立、内閉が<氏族>の<部族>への飛躍と、<近親相姦>の<禁止>を促した、ということです。家族共同体がなぜ氏族共同体の内部に発生していったのか。家族の原型は一対の男女です。ある男または女が性的な対象を(どうしてもこの女または男でなければならない)と限定するという心性が発生し、その心性が恒常的にその男女がともに暮らすという形をとるに至るのが家族共同体の始まりだと思います。それは対となった幻想の発生であると思います。そして対となった幻想である家族は氏族共同体の内部で孤立し、閉じる傾向をもつわけです。それは共同の幻想から対になった幻想が分離し孤立し矛盾していくことだと思います。
氏族の共同体の内部で個々の家族共同体である対幻想が分離し、家族共同体が内閉してくるとその内部ではいわば意識的に性的な対象としての近親の異性を改めて見直す必然性を与えたと吉本は述べています。この必然性に素直に、(自然に)従えば、つまり近親相姦を実行すれば家族共同体は崩壊の危機に見舞われる。それは家族共同体がさらに個々の自閉した対(ペア)に分裂することである。これを免れるためには近親相姦を自ら禁止するほかはない。これが吉本が近親相姦に与えている説明のひとつです。この近親相姦の禁止ということには人間の歴史の謎がこもっていて興味を惹かれます。では本年はここらへんで。みなさん良い年をお迎えください。