2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

私は今日「小人」を斯う考へたのである。自分の性格、乃至は人生観といふ針の穴程のものを通して他人を見、他人を批判する、これが小人であると思ふ。小人は自分の主張以外の人を全く排さうとするのである。(随想(其の二))

この文章は前回の文章が書かれた吉本が米沢高等工業高校に進学する前の、東京府立化学工業学校に通っていた当時の「和楽路」(たぶんワラジと読むんでしょう)という文芸誌のなかの文章で、ガリ版刷りの冊子だったそうです。当時吉本は16歳くらいで、これ…

私は私と全く正反対の人生観の持主であつても、尚その人格を尊敬してゐる人がある。人は私自身が「俺は小人ではない」と自惚れても許して呉れるだらう。(随想(其の二))

こうした幼い文章のなかにも、その生涯の終わりまでを見届けた者には吉本の初期とその後の人生を貫くものがあるように読めてしまう。吉本がマルクスについて書いたように、そのアルファとオメガが円環をなすように感じられてしまうわけです。吉本が書いてい…

どんな種類の文章を書いても、自分を自分以上に表はそうとしたり、又何の意味もないことを意味ありげに書いたりさへしなければ、その人が自然に現はれるものです。(巻頭言)

この文章は吉本が米沢高等工業学校に通っていた時に友人と作った「からす」という同期回覧誌の巻頭言のようです。1943年に書かれたということなので19歳くらいだとおもいます。高等工業学校というのは今でいう工業大学なんだとおもいます。米沢高等工…

僕達はその自分を自然に表はすやうな文章を書くと共に、その表はされた文章を正しく読み取り得る様に努力しやうではありませんか。他人の文章を理解し得ると言ふことは、他人を理解し、正しく洞察し得ると言ふことです。(巻頭言)

他人の文章を理解するということが他人を理解し洞察することだという素朴な文章観もまた吉本の戒律であり思想であるものです。ほかの人間を深く理解しようとして幾多の作品の批評を行ってきたのが吉本の人生だといってもいいと思います。吉本の社会思想や歴…