2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「カール・マルクスの資本論は、大凡(おおよそ)すぐれた著書が持っているあらゆる特質……精緻さ、心情の湧出、理論の完璧、現実性を獲得するまで鍛へられた理論…を具へていた。しかも一瞬もゆるむことのない精神の緊張性によって支へられてゐた」(カール・マルクス小影)

私は資本論をちゃんと読んだことがないので資本論について語る素養がありません。私が言えることは吉本がマルクスの思想をどう捉えていたかについてのおおざっぱな自分の理解だけです。マルクスの思想はヘーゲルの思想をどう乗り越えようとしたかということ…

「人はしばしば論理が現象を説明することの出来ないことを以て、論理に対する軽信を述べるが、僕の見解によれば、論理なるものは、現象の説明といふ責任を当初から負ってゐるものではない。若し、論理が何らかの役割を果すべきものとすれば、それは、すべての動因を原理的なものの基本反応に還元し、その基本反応の組み合わせを以って普遍的であり、同時に、近似的であるところの現象に対する一つの法則を獲得するにある」(カール・マルクス小影)

これはこの文章に続く文を読むと分かりやすくなります。「若し現象を論理的に解明しようと欲するならば、その基本反応に若干の偶然的要素を加へて、各人がなすべきところのものであると思ふ」つまり現象というものには様々な偶然的な要素が混入している。し…

「ランケの歴史哲学は、支配者の歴史哲学である。Uber die Epochen der neueren Geschichte (より新しい歴史の時代について)を見よ。支配者の意思により動かされた諸事件を記述することにおいて、彼の筆は如何に細やかであるか。ここにはあらゆる人間性の種子は疎外されてゐる。マルクスがその史観から〈人間〉を疎外することによって、却って人間を奪回したことと比較せよ。ランケは、偶然を連鎖することによって必然と考へようとしてゐる。」(原理の照明)

ランケってのはぶっちゃけ読んだことがないです。だから吉本のランケの批評が正確かどうかわかりません。だから一般論でいうしかないですが、支配者の側から書かれるのが歴史というものだから、それを細やかに追うだけの歴史観は駄目だと吉本は言いたいと思…

「マルクスの歴史哲学が提示したテーゼ。すべて抽象的なるものは現実的であるといふことである」(原理の照明)

抽象的なるものというのは観念に属します。モノではないわけです。現実という概念にはモノとしての世界ということと、観念としての世界ということの双方が含まれています。そして観念の世界は目に見える、感覚的に捉えられる具体性に富んだところから、抽象…

「〈僕の歴史的な現実に対するいら立ちの解析〉①要するに、根本にあるのは、僕の判断、正当化してゐる方向に現実が働いてゐないといふことから来るもの。②具体的には世界史の方向。③日本における政治経済の現状。僕が現実を判断する場合に、現実なるものが二重構造を持ってゐて、この断層が決定的である」(断想Ⅰ)

これは吉本が現実に対していらだっていることの要因をあげているわけですね。しかしまずもって「歴史的な現実にいらだつ」ということがピンときませんね。このあたりで分かったようなふりをすることが嫌です。分かったようなふりをすれば、知の中に入ること…

「いら立ちといふのは精神の剥離(はくり)感覚である。④僕の判断を実証することが、日本の国において殆んど不可能であるといふこと。⑤僕らの国の権威者によって典型的に表現されている劣等性が、僕に与える自己嫌悪と共鳴現象を呈する。⑥強制的に採用されてゐる日本における経済政策が、貧窮階級の意識的な無視によって行はれてゐること。⑦占有せられた現実。他律的な現実において僕の自律的な判断が占めるべき場所を有しないこと。」(断想Ⅰ)

吉本の中上健次という小説家に対する追悼文をおまけに書きます。私が言いたいことはこのきわめて優れた追悼文の行間にあります。 「中上健次」 吉本隆明 (前略)わたしはこの世の礼にかかわって、かれがのこした人柄と作品の印象をいそいでかきとめなくては…