死はこれを精神と肉体とにわけることは出来ない。それは自覚の普遍的な終局であるのだから。僕がそれに何かを加へることが出来るとするならば、すべてのひとにとつてそれが無であるとき、僕にとつてそれが自然であると考へられるといふことだけだらう。(夕ぐれと夜との独白)

自然という概念に人類史のすべてを叩き込み還元してしまおうとするマルクスの思想の徹底した姿、というのが吉本のマルクス理解の根底だと思います。それは親鸞の思想の中に吉本が見たものでもあります。それは吉本が自らの孤独な時間の中で開こうとした最も大きな窓でもあります。

おまけです。
「現代学生論−精神の闇屋の特権を」(1961年)    吉本隆明

わたしが、学生生活の最後の年をおくったのは、敗戦直後であった。そのとき「春の枯葉」という戯曲を上演することになり、許可をもらうために太宰治をたずねたことがある。自殺の一年ばかり前だったとおもうが、そのとき、こんな問答をやったのをおぼえている。
 「学校はおもしろいかね。」
 「ちっともおもしろくありません。」
 「そうだろう、文学だってちっともおもしろくねえからな。だいいち、誰も苦しんじゃいねえじゃねえか。そんなことは作品を、二、三行よめばわかるんだ。おれが君達だったら闇屋をやるな。ほかに打ちこんでやることないものな。」
 「太宰さんにも重かった時期がありましたか? どうすれば軽くなれますか?」
 「いまでも重いよ。きみ、男性の本質は何だかわかるかね。」
 「わかりません」
 「マザーシップだよ。優しさだよ。きみ、その無精ヒゲを剃れよ。」
 わたしは、いま、学生に無精ヒゲを剃れといいきるだけの度胸はない。その当時は、敗戦の混乱で社会はたぎり立ち、わたしのこころは暗かった。いまは、社会は息苦しいほどの秩序をもち、わたしのこころはおなじように暗い。当時の闇屋の相当する商売は、いまの社会にはないのである。わたしは、太宰治にならって、精神の闇屋になれ、それ以外に打ちこんでやるものはない、とでもいうべきだろうか。