批評家は批評についてたつたひとつのことを言ふことが出来るのみである。即ち、ここに自らの宿命によつて構築された作者の像があると……。(〈批評の原則についての註〉)

作者は自分の内面を作品に表現する。その表現は自由に行われるわけです。自由に自分が作りたいものを作るわけですが、ほんとうに自由かといえばそうとはいえないわけで、村上春樹の作品は村上春樹の作品になるし、村上龍の作品は村上龍の作品になります。つまりその人がその人であるということから自由になるわけではないのだと思います。その人をその人であるしかなくしているものは何か。それは各自のこころの奥から沸きあがってその人の人生を引きずり廻す力であって、自分でもどうしようもないものです。それを宿命と呼んでいるのだと思います。
だから作品とは作者が自らの宿命によって構築するものだといえます。それを読み取るのが批評であって、それが批評についてたったひとついえること、つまり最重要なことだと吉本はいっています。これは先輩の批評家である小林秀雄の考え方です。小林秀雄のことを吉本は単独で近代的な批評を築き上げた偉大な批評家だと評価しています。吉本の小林秀雄への批判は強烈なものがありますが、独力で近代批評を築いたという偉大さを否定することはできないわけです。
近代批評はそれ以前の批評とどこが違うか。それは批評に自意識を導入したことだと吉本はいっています。対象である作品や作者についてさまざまに語る批評というものは小林以前にもちろん存在します。しかし批評する側の人間がそもそも何者なんだという自意識、ある作品をどうこうと語っているお前自身は何者だという自分自身への意識を批評に持ち込んだのは小林秀雄だということです。同時に批評家というものは作品に群がる取り巻きのようなものではなく、批評家というものにしかなりえない宿命をもった個人なのだというように批評家の概念も小林が独力で作りあげたと思います。作者は宿命に促され導かれあるいは引っ掻き回されて作品を作ります。しかし作者が自らの宿命を自覚しているとは限りません。作者は自由に無意識の衝動に促されて作品を作っていくのであって、自意識とか自覚とか批評意識というものを持たなくても作品を作ることはできます。えげつなく言えばバカでも作品は作れるわけです。しかし作品の中に作者の宿命というものを読み取る読者が存在します。それはプロであろうとアマであろうと批評家というしかない読者です。なぜそういう批評家であるしかない個人がいるかというと、その個人は作者が作品を作るというようには内面を解放できない人なのだと思います。自意識というのは懐疑する力です。どこまでも自分の中から湧き上がるもののその奥を疑い追求しないではいられない衝動なのだと思います。逆に言うと作品を書くという解放感から拒絶されている懐疑にとりつかれた可哀想人だともいえます。
では何故批評家は他人の作品というものを対象にして自分自身は何者かというものを探るのでしょうか。自分のことは自分の内面を探ればいいのではないでしょうか。それはたぶん自分のことを自分で探るということには限界があるからではないかと思います。宿命というものが形成されるのは、吉本の考えでは母親との関係が決定される幼児期であり、さらに胎児期に遡ることができるはずだと考えられています。それがいわば最も深い部分で形成される宿命、つまり根源的な性格であって、その後に父親や兄弟親族、また友人とか恋人といった人間関係が宿命の形を作り出していきます。この最も深い宿命とともに最も深い精神病や神経症の根源も存在すると考えます。そこまでえぐり出さずにはいられないという衝動が批評家を動かします。しかしその根源的な宿命形成の時期は言葉の形成される以前の時期であり、そこでの真実は言葉のない暗黒のなかに潜んでいます。そしてその暗黒を察知したとしてもそれは自分ひとりの暗黒であり、自分の入れられた密室です。批評家であるしかない疑い深い人間の求めるものは自分自身の暗黒である無意識の領域がなんであるかをえぐり出したいというのと共に、その自分の宿命を超えることだと思います。自分の宿命を超えることは他の人間の宿命の形をえぐり出し関わるということで行われるしかないんじゃないでしょうか。もしそこまでえぐり出してみることができるならば、人と人とはこれ以上しょうがねえじゃねえかという、ぱっとしないしかし虚偽のないお人柄として互いを認めかつ関わって生きるということになると思います。
今回はポルソナーレの今年最後のゼミですので、私事で恐縮ですが個人的に一年を振り返るとデイサービスの仕事を開業してよちよち歩きを3ヶ月ほどした年だということになります。私はいま57歳ですが介護や高齢者・障害者に関わる仕事を始めようとしたのは10年くらい前です。それ以前はまったく畑ちがいの仕事をしていました。なんでいい年をこいてからじいさんばあさんの世話をする仕事に転職したのか、自分でもよくわからないままにやってきました。それでつい昨日ふっと気がついたことがあります。それは私も私の家族によって形成された宿命をもっているのでしょうが、それを超えたいという願望があるんだと思います。高齢者の方々というのは人生の形が若い人たちよりは明瞭なんですよ。もうほとんど完成している家のようなもので。それはその方々の宿命の形も明瞭だということです。自分探しというようなことできょろきょろしている段階はとうに過ぎて、探すもなにも自分の人生という形で自分自身がそこにあることをどうすることもできません。もうしょうがないじゃないですかガタガタしたってねえ。高齢者というより高齢になるまで生き切った人たちと接することで、私は私の宿命から逃れることができるわけではないけれど、さまざまな宿命の形がその人たちの姿としてあることと私自身の宿命の形がなんとなく察知され、そして相対化されていく気配を感じます。私が長年自分のなかを探してもうまく捕まえることができず、超えようにも超えがたい箱の中にいるように感じていることがなんというか解体されていくような感じがします。たぶんこういう感じを求めて私は転職したんだとようやく気がつきました。それは介護という仕事の中にあるというよりは高齢者や障害者が隔離されずに世間のなかに生きられる世界がもっていたはずのものでしょう。まあそんな個人的な感想を述べさせていただいて今年のつたない初期ノートの解説を終わらせていただくことにいたします。皆様よいお年を。