この間わたしはほとんど詩人たちと独立にあゆんでゐた。だからわたしはどんな詩人とも一致することを願つてはゐなかつたと言つてよい。わたしが一致することを願つた唯一の対手は、自らの眼で獲得した時代(現代)への認識との一致であつた。(〈詩集序文のためのノート〉)

こういう言葉は誰にでもあてはめることのできる規範的な言葉ともいえます。詩人という言葉を教師なら教師、ラーメン屋ならラーメン屋、サラリーマンならサラリーマンと自分のいる仕事に置き換えてみることもできます。私はいま介護職ですから、わたしはどんな介護職とも一致することを願わず、ただ自分の眼で獲得した時代とその時代のなかに生きている人々の実態への認識と一致することを願うと言い換えることもできるわけです。それでわたしとしては充分で格別の不満はありません。

おまけです。

吉本の新刊本「ひとり 15歳の寺子屋」から     吉本隆明

僕の考えだと<アフリカ的段階>っていうのをいちばん根本のところに設定して、人類のいちばん最初の原始的な段階まで視野をおしひろげて考えれば、人はみんな、おんなじ。平等なんだっていうことが非常にわかりやすく見えてくると思いますよ。
人は、みんな、おんなじ。これは僕の根底にある確信です。
何を考えるにしても、僕は、そこから考えたいと思うんです。