2010-01-01から1年間の記事一覧

時よ。僕はいまおまへの移行を惜む。且ては速やかであれと願つたこともあつたのに。現在は遣りとげなければならないことがいつぱいだ。あまりに浪費してきた罰で歩みは遅く、おまへが沈んでゆく日となつて、雑林や農家の竝(なら・並)んだむかふへ馳せてゆくとき、僕は追ひかける勇気をなくしてじつとしてゐる。(〈少年と少女へのノート〉)

この文章は1950年に書かれたようです。吉本は1924年生まれだから26歳くらいの時の文章です。もうひとつ1966年に書かれた文章を引用します。60年の安保闘争を体験した後の吉本の文章です。過ぎていく時に対する感受性が同じようでありながら…

下街で銀行がビヤホールに変つてゐた。人たちは片手落ちな交換をやるために昔のやうにそこを出入してゐた。(下町)

片手落ちな交換というのは、要するに銀行家や資本家をもうけさせるような不利な交換を庶民がしているということでしょう。それは戦後左翼思想に目覚めた吉本の抱いた思想的な反感なんだと思います。これもひとつのNOの感受性で、戦後多くの人々が左翼思想…

僕の精神からは希望が消失した。僕はいま無限の単調のうちにある。そして僕が自ら血肉化し得たのは衝動(感情)を知性によつて抑へること。いやむしろ虚無によつて抑圧することであつた。この感覚は言はば論理の錘(おもり)を沈めるようなものであつた。(原理の証明)

なぜ希望が消失した、と言っているかというと、敗戦によってそれまで信じていた軍国主義の思想が完全に破産したのを見たからです。そして戦後になって民主主義や社会主義を提唱しはじめた人たちの主張のなかに、吉本たちが戦争を体験して味わった絶望が充分…

僕は神の問題から逃れ得た(やうに思ふ)。言いかへれば僕にとつてそれは情感の問題から逃れたことを意味する。何故ならば、僕はスコラ哲学の教祖たちのやうに、理性と神とを一致させることには与(くみ・賛成して仲間になるの意)しなかつたから。(原理の証明)

吉本にとっての神という問題は、いつかは戦争によって死ぬと信じられた自分の宿命に対して、絶対者として解答してくれる存在だったと思います。俺は戦争でどうせ死ぬ。若くして戦争で命を失うのはなんのためか。なんのためと思えば命と引き換えにできるのか…

資本制社会は競争を激化し、人間をして憩はしめないだらう。資本制社会の真の基礎は、優越、権威、競争の心理である。(原理の照明)

資本制社会が競争を激化するというのは、資本制社会が自由競争を原則とするということですが、それは初期の資本制のあり方で現在はそこから大きく変貌しています。現在も資本制社会であり、企業間の競争というものは存在しますが、大きくとらえれば圧倒的な…

且て存在した天才といふもの。僕の考へによればそれは特殊な巨大な才能を有する人を指すのでなく、速やかに自らに出会つた人を指す。優れた天賦の才能などは居ない。僕には各人は自らの限界を夫々持つてゐるように思はれる。この固有な限界を宿命と呼ばう。それ故、天才とは巨大な限界を有するものではなくて、僕によれば、深化された限界を有する者だ。深化された宿命、これを天才と呼ぶ。(原理の照明)

支配したり管理したりするのが大好きな連中の思想のなかにあるのは、自分たち支配者の優越性への確信じゃないかと思います。あるいは決定的に優越した主人に仕えるしか人生はありえないという子分の確信です。能力というものが先天的に決まっていて、その証…

僕は欲望が無限のものであるかどうかを試みたことはない。恐らくそれは無限のものではないと思はれる。その限界において僕は必ずや人性の限界を視るに相違ない。(断想Ⅳ)

欲望といっても様々な種類がありますが、モノに対する欲望というものは分かりやすい限界が考えられると思います。たとえば我が家にはテレビが2台ありますが、3台要るかといえば要らないわけです。お風呂場にあると半身浴をするのに退屈しないでいいなとたま…

自然の秩序は先づ存在があつてそれの効果があらはれるという順序をたどるが、人性の認識する秩序は、先づ由因があつて次にその存在があるという風に考へるところに ある。(断想Ⅳ)

これは人間だけが「考える」ということを極度に推し進めるということをいいたいのではないでしょうか。違う? それは人間だけが時間を意識するということでもあると思います。由因つまり原因を求めるということは時間の中にあるからです。個としての人間の時…

人間の思考は、あたかも逆行するが如き感覚を伴ひつつすすむ。(夕ぐれと夜との言葉)

自分が何かを考え込む状態を内省してみると分かりますが、要するになんでこんな事態になったんだ?と原因を探っていくのではないでしょうか。それは思考が時間を逆行することだと思います。この時間というのは自然時間ではなく、考えとか感覚が形成されてい…

個性に出遭ふみちは困難である。青年は決して個性的であることは出来ない。青年が錯覚のために死ぬのは、ここに於てである。(「夕ぐれと夜との言葉」)

個性というのは宿命という意味で使っていると思います。宿命というのは人間がその内面的な選択を現実にぶつけていって、いわば内面が核にまで削り取られていった段階で自覚されるものだと言えます。つまりあっちにぶつかり、こっちにぶつかり、色んなことを…

「今日一日誰とも出会ふことはなかつた。為すことも何もなかつた。何処から何が生れて来るだらうか。精神は睡眠してゐる。」(少年と少女へのノート)

よしもとばななは吉本隆明の次女ですが、「ブルータス(2010年2月15日号)」の吉本隆明特集のインタビューで吉本隆明の娘として共に暮らすのはどういう感じかを語っています。それは一つ屋根の下でお坊さんや武道家と一緒に暮らす感覚と似ているんじゃないか…

「自由は生きることと正しく等しい限界をもつてゐる。」(少年と少女へのノート)

吉本は自由という概念は駄目なので、自立という概念がいいのだと言っています。それは自由という概念には目に見えない関係を生きることを強いられるという観点がないからです。自由に生きるというのは主観のなかでのみ可能なので、生きてみれば分かりますが…

自由は必然性のなかにある。必然!僕には無限に底ふかい言葉だ。僕は、と或る日、その言葉をせっせと掘り下げてゐるのを感じる。現実が仮象のやうに遠のいたのはそんな時であった。(序章)

一番大切なのは自分にとっての自分の生活ですから、そこからこの文章に関わることを考えてみます。関わることが特になければ、どんな文章でもそんなもんは後回しで、まずは自分の生活を考えるわけですよ、ざっくり言って。私は心配でならない。自分の仕事、…

この鎖国されてゐる国。永久に僕らは孤立文化の跛行から逃れられないのだらうか。(断章Ⅰ)

私が少しだけ習い覚えてきた外国、特に欧米というのは単に文化的なものにすぎなかったと最近つくづく思います。本とか映画とか音楽とか観光旅行程度の旅の知識で作り上げた欧米です。しかし本当に社会を動かしていく労働とか産業とか金融とか政治というもの…

「人間には確かに語らない部分がある。人間が精神と呼んでゐるものは、恐らくはその語らない部分から成り立ってゐる。」(原理の照明)

これは言葉について語っています。吉本は言葉、あるいは言語をそれが発せられた結果としての文章や録音されたしゃべり言葉だけで捉えるのではなく、言葉がひとりの人間の内から生まれようとする場面で捉えようとします。これがそれ以前の言語論と吉本の「言…

「虐げられた者の持つ狡猾さを女性も亦(また)持つてゐる。人類史はその胎内に女性史を持つてゐる。胎内にといふことは重要だ。誰がこの歴史を修正するか?」(原理の照明)

信じてはだまされ、いいように使われ、いらなくなれば捨てられる。そういう虐げられる立場を何百年も続けてくれば狡猾さを身に着けるようになります。そしていったん虐げられた立場の人間たちが力を身につけた時には、その耐え忍んで身に着けた知恵と戦術に…

「今日、あらゆる思想家の所論にもかかはらず精神の危機は存在しない。むしろ、精神は苦悩する希望のうちにあること、やがて歴史はそれを証明するだらう。絶望とはあの倫理の匂ひ濃き希望の別名である。」(原理の照明)

これは吉本が若くて気張っているので文章として分かりにくいですが、たぶん吉本が初期ノートを書いていた敗戦直後の時期に「精神の危機」というものを主張する論調が多かったんだと思います。どういう論調かよく知りませんが、たぶん現代文明の中で精神は追…

「僕がコミニスムに感ずる唯一の不満はそれが余りに健康であるといふことだ。理論が既に破れ、実践が尚存続するといふことはその健康さを証明する。僕がマルクスに驚愕したところは、それが精神の真新しい次元を要求するかに感ぜられたことだ。あの偉大な聖書も僕を深化に導いたが、決して新しい次元に導くことはなかった。」(原理の照明)

これはどういうことが言いたいのかというと、コミニスムつまりマルクス主義というものは教条主義的だということだと思います。教条主義というのはマルクスの文献というものが教条つまり聖書みたいになっていて、それを信仰しているだけだということです。そ…