一日の出来事の浮沈に一喜一憂する父親が還つてくる。次に経済史や社会思想史を熟知してゐる息子が戻つてくる。息子の願ひはただ暗い自負のうちに秘されてゐよう。彼はすべて貧しきものの存在する機構を知つてゐるのだ。息子は放棄の思想を血肉化しようとしてゐる。(夕ぐれと夜との独白)

この息子というのは吉本自身でしょう。またこうした息子、娘というのは世の中にいくらもいるわけです。そして社会のカラクリに目覚めた息子や娘は支配権力と戦いたいと思う。そして実際に政治活動をして逮捕される者も出てきます。かって中野重治という文学者がいて共産党の活動家として逮捕され、共産主義からの転向を官憲から迫られて転向しました。転向するというのは共産主義思想を捨て共産党をやめるということです。
そして経済史や社会史思想史を熟知している息子は権力との戦いに敗れ、一日の出来事の浮沈に一喜一憂する父親のもとに帰ります。中野重治はその時の父と息子の会話を「村の家」という小説に書き、吉本はその小説を「転向論」という評論のなかで取り上げています。転向して村の実家に父親に会いに帰ってくる息子は中野重治自身です。転向して帰ってきた息子に村の父親はいいます。
「それがどうじやいして。おまえの転向じや、今度はおとつつあんは行かんつもりじやつた。(中略)すべてが遊びじやがいして。遊戯じや。屁をひつたも同然じやないかいして。竹下らアいいことした。殺されたなア悪るても、よかつたじやろがいして。いままで何を書いてよが帳消しじやろがいして。(中略)あかんがいして。何をしてよがあかん。いいことしてたつて、してれやしてるほど悪くなるんじや。」
                    中野重治 「村の家」より    
この小説は昭和9年頃の戦前の時代の話です。この父親はインテリではありませんが、社会に対する独自の見識を持っていて権力に刃向かうことを悪だとは思っていないわけです。しかし父親は息子を厳しく批判しています。
「おとっつあんは何も読んでやいんが、おまえがつかまったと聞いたときにや、おとっつぁんらは、死んでくるものとしていっさい処理してきた。小塚原で骨になって帰るものと思て万事やってきたんじゃ」
                   中野重治 「村の家」より
小塚原というのは江戸時代の処刑場です。この父親は平凡な人生を送った人ですが、人生経験を通して世間を知っており、この世の支配構造の不条理を理解しています。それに反抗する人々の歴史も、祖先や地域の権力に反逆し敗れた人々のものとして血肉のなかで受け止めています。だから息子が政府に逆らって政治行動をしたことを単純に悪いこととは考えません。しかし息子を叱るわけです。何故か。それは男がそこまで覚悟して行動するなら死を賭してやれ、という封建的な倫理です。政府に逆らって弾圧されたら土下座して仲間を裏切るくらいなら、殺された方がましなんだという土着の倫理だとおもいます。吉本の言葉でいうと封建制の優性の倫理、優れた伝統的な大衆の倫理です。そして死ぬことができないならこれ以上言論活動はやめろ、筆を折れと小説家である息子に言います。
「輪島なんかのこのごろ書くもな、どれもこれも転向の言いわけじやつてじやないか いや。そんなもの書いて何しるんか。何しるつたところでそんなら何を書くんか。いままで書いたものを生かしたけれや筆ア捨ててしまえ。それや何を書いたつて駄目なんじや。いままで書いたものを殺すだけなんじや。(中略)
 わが身を生かそうと思うたら筆を捨てるこつちや。‥‥里見なんかちゆう男は土方に行つてるつちゆうじやないかいして。あれは別じやろが、いちばん堅いやり方じや。またまつとうな人の道なんじや。土方でも何でもやつて、そのなかから書くもんが出てきたら、そのときにや書くもよかろう。それまでやめたアおとつつあんも言やせん。しかしわが身を生かそうと思うたら、とにかく五年と八年とア筆を断て。これやおとつつあんの考えじや。おとつつあんら学識アないが、これやおとつつあんだけじやない、だれしも反対はあろまいと思う。七十年の経験から割り出いていうんじや。」
                     中野重治 「村の家」より
このお父さんの言い分はなんとなく分かるでしょう。ごくふつうの一般大衆の生活ってものがあって、そこから頭のいい息子や娘が出て大学とかで経済とか政治思想とかを覚えてくる。そして頼んでもいないのに人前でものを書いたり、インテリが集まった政治党派に入って政治活動を始めたりする。そのことをこの父親は批判しているわけではない。でも、お上に逆らい、政府に逆らうということがどういう怖ろしいことかは封建時代からの伝統として知っているわけです。逆らった人間は小塚っ原で骨になって帰ってくるという伝統です。あるいは途中で抜けたものはひっそりと一般大衆の生活のなかに戻り黙して生きるという姿です。そのどっしりと重い倫理を父親は息子に愛情をもって突きつけます。
それに対して中野自身である主人公の息子は黙って聞いています。そして「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。」とだけ答えます。その答えを聞いて父親は憮然としているわけです。吉本はこの会話を白眉とする「村の家」は転向文学の最も優れた作品と評価しています。なにが優れているかというと、この小説は頑張って社会を把握しようとして体を張ってぎりぎりまで政府に逆らった若者が、その果てでぶつかった一般社会のなかに流れている父親が体現した厳しい倫理を描いているからです。世間というのは奥の深いもので、政府の行う暴政や国民へのだましにだまされて黙々と従っているばかりではありません。そして政府や幕府に命がけで逆らった人たちの歴史を土地のなかに伝わる実話の群れとして腹の奥に蔵しています。それを公表したり議論したりしないだけです。小説のなかで主人公の若者はその一般大衆の奥の深さに始めてぶつかるわけです。しかしその大衆の重い倫理をそのままでは受け入れることができない。だから筆を折れという父に逆らって書いていきますというわけです。ではここまできたら潔く筆を折れという倫理の重さを受け止めてなおかつ書くとは何を書くのか。それは中野重治の課題であり、吉本の課題でもあったと思います。放棄の思想というのはそういう課題を担う思想です。
権力にしがみつく者たちの薄汚さといやらしさはいつの時代も変わりませんが、またその姿が露骨に大衆に見える時節がやってきたと思います。だとすれば吉本や中野重治が人生を賭けて担った課題が、また注目され我がこととして身にしみるような状況もきっとこれからやってくると私は思います。