2014-01-01から1年間の記事一覧
これは吉本が初期ノートの発刊のとき、自分の初期の文章を読み直して恥ずかしいと感じただろう若気のいたりのような文だと思います。つまりわかっちゃいないくせにわかったように書くのは恥ずかしいことですからね。あえていうなら、大きな思想を抱いている…
孔子の思想がここで吉本がいっているようなものなのかは私にはわかりません。しかし孔子を離れて、政治が民のなかにあるとか、政治はついに一人の人民を救うことに及ばないという考え方は後年の吉本の思想に継続していると思います。政治が民のなかにある、…
「無門関」については解説するだけの知識がないので、私が若いころに禅寺で座禅した思い出話でお茶を濁させていただきます。品川の禅寺で一日中座禅を組む合宿のようなものに参加したことがあります。障子に向かって坐って、数を一から十まで数えることをく…
また私事の思い出話でお茶を濁しますが、なぜ自分が若いころに禅寺に行ったりキリスト教の教会に通ったりしたのかと考えてみると、思い出すのはもっと若いころのある夜、とつぜん母親も父親も自分自身もいつか死んでいなくなるということに突然気づいたこと…
世阿弥は室町時代の能楽師(その頃は猿楽といったらしいですが)で、世阿弥の能の流れにあるのが現代の観世流だそうです。世阿弥には有名な「風姿花伝」をはじめとする著作があり、ここで吉本が取り上げているのも「風姿花伝」の文章です。 「されば時分の花…
芸術と芸能は違う。たとえばビートたけし(昔の)と詩人の荒川洋治は違う。権力との関係でいえば、芸術はけして権力にたどり着くことができない。芸能は権力の太鼓持ちであるが権力の喉笛に食らいつくこともできる。たしかそんなことを吉本が書いていたと思…
この初期ノートの文章は吉本が米沢の高等工業学校にいた時代に「からす」という、「同期回覧誌」というから同じ学年の学生で作る同人誌なんだと思いますが、その巻頭言として書いたものです。まだ若いころに書いたものですが、それでもその後の吉本の表現に…
こういうところは吉本の文章のうまさなんでしょう。「このなかにバカなやつがいる、それはわいや(⌒ー⌒)」というやつですね。深読みすればここにも後年の吉本がこだわった問題があるともいえます。文章を書くとは何か、文章を書くという行為のなかで深入り…
この文章は吉本隆明の初期ノートのなかの「過去についての自註」という文章の冒頭部分にあたります。この文章には前段があって「あるひとつの思想的な経路は、それを「個」としてみるとき、あるひとつの生涯の生活を「個」としてみるのとおなじように、それ…
吉本はどこかで(作家についての自分なりのランキングがあって、そのランキングの基準は作品の出来ではなく、その作家が作品を作らざるをえない必然性です)という意味のことを書いていました。作家には作品を作る契機というものがあり、また作品を公表する…
私たちは生まれてこようとして生まれたわけではない。親子喧嘩で「誰が育てたと思ってるんだ!」とか言われて「産んでくれと頼んだおぼえはねえ」みたいなことを言いかえしたことのある人はたくさんいると思います。私も言ったことがある。そうするとたいが…
この部分に書いてあることとは別に、吉本は「個」が生み出され、それが時代とか社会とかに異和を抱くのは、時代や社会のせいだけではなく、一個の生命である「個」がもつ本質かもしれないということを書いていたと思います。まわりの世界すべてに異和を抱き…
宮沢賢治の作品はヨーロッパ風な舞台装置の上に展開されることが多い。また宮沢賢治の感性は当時の日本の文学者のなかで飛びぬけて異質であり、ヨーロッパ的であるといえると思います。しかしその宮沢賢治が本質的にアジア的(日本的)だったとはどういうこ…
古事記についての吉本の思想は「共同幻想論」に詳しく述べられています。古事記や日本書紀の解読を通して吉本は日本のまたアジアの共同幻想の構造を取り出そうとしています。「共同幻想論」での吉本は徹底的な論理的な方法で古事記や日本書紀の世界に向かっ…
この「無門関研究」という文章は1945年つまり日本敗戦の年に書かれています。吉本は20歳くらいです。無門関研究といっても学術的な研究ではなく心情をぶつけたような文学的な文章です。「無門関」というのは中国の宋代(1200年頃)に無門慧開とい…
吉本はいわゆる理性的すぎるゆえにオカルトとか宗教とかに違和感をもっているという人物とはちがいます。逆にオカルト的なもの宗教的なもの、現世を超越したものにたいへん心を惹かれる資質をもっていたと思います。そうした資質は娘の吉本ばななにも受け継…
ここで若き吉本が述べている漱石の孤独の底には人間性への愛があり、しかしそれがあまりに清潔であったために悲劇を生んだとか、また後半のノートの文章にあるように宮沢賢治の孤独の底には人間性に対する愛は発見できず、それは科学的な修練が人間性への開…
科学的な修練が人間性への開眼に先行したから、人間性への愛を見いだせなかったというのは考えられない気がします。科学的な修練などにたづさわる以前に人間は家族のなかで愛情を見出すものだからです。しかし吉本が洞察したように、宮沢賢治のなかに普通の…