2014-01-01から1年間の記事一覧

世界の三聖を釈迦、孔子、キリストと言ふ。釈迦は一番利口だから金仏になつてゐる。キリストも相当利口だつたらうが、惜いかな磔の像になつてゐる。孔子は馬鹿だから何にもなつてゐない。私が誰が一番好きかと言へば論なく孔子を第一 とする。決して用ひられそうもない大経論をふところに、狗のやうに諸国を廻つ た孔子こそは、私達が最も近づき易い感じがするのである(孔丘と老耼(たん)後記)

これは吉本が初期ノートの発刊のとき、自分の初期の文章を読み直して恥ずかしいと感じただろう若気のいたりのような文だと思います。つまりわかっちゃいないくせにわかったように書くのは恥ずかしいことですからね。あえていうなら、大きな思想を抱いている…

孔子は政治と言ふものが、民の中にあるのを知つてゐた。孔子は終に政治は一人の人民を救ふ事に遙かに及ばないのを悟つたのである。この点は現在に徴して私達に幾多の示唆を与へてくれるものがあらう(孔丘と老耼(たん)後記)

孔子の思想がここで吉本がいっているようなものなのかは私にはわかりません。しかし孔子を離れて、政治が民のなかにあるとか、政治はついに一人の人民を救うことに及ばないという考え方は後年の吉本の思想に継続していると思います。政治が民のなかにある、…

(大道は無門である もろもろの路があるのみ)(この関門を透らば おまへは宇宙にひとり歩むぞ) 私は無門関の頌を読んだ これから私がどのやうにまごまごとこの関門の前で赤面し狼狽したかを語らうと言ふのだ(無門関研究)

「無門関」については解説するだけの知識がないので、私が若いころに禅寺で座禅した思い出話でお茶を濁させていただきます。品川の禅寺で一日中座禅を組む合宿のようなものに参加したことがあります。障子に向かって坐って、数を一から十まで数えることをく…

(この関門を透らば おまへは宇宙にひとり歩むぞ) 真黒な石炭を詰込んだやうな私の心はこの言葉にふるへ感激した それなら透つてやらうと思つたのであるだ(無門関研究)

また私事の思い出話でお茶を濁しますが、なぜ自分が若いころに禅寺に行ったりキリスト教の教会に通ったりしたのかと考えてみると、思い出すのはもっと若いころのある夜、とつぜん母親も父親も自分自身もいつか死んでいなくなるということに突然気づいたこと…

これは日本の生んだ最高の芸能心理家である世阿弥が僕のごとき弱年に遺した条々である 僕は服従し且つ叛く 詩は花ではない けれど花に入り花と訣別しない詩が何の意味を持ち得るだらう 僕は僕の道をゆくと尚も嘯(うそぶ)くのだ(序跋一束)

世阿弥は室町時代の能楽師(その頃は猿楽といったらしいですが)で、世阿弥の能の流れにあるのが現代の観世流だそうです。世阿弥には有名な「風姿花伝」をはじめとする著作があり、ここで吉本が取り上げているのも「風姿花伝」の文章です。 「されば時分の花…

芸術と芸能は違ふ 世阿弥は優れた芸能家であるが芸術家ではない この差異のなかに潜むものこそ僕を導き僕をして拙い詩をすら尚諦めず書かしめるものだ(序跋一束)

芸術と芸能は違う。たとえばビートたけし(昔の)と詩人の荒川洋治は違う。権力との関係でいえば、芸術はけして権力にたどり着くことができない。芸能は権力の太鼓持ちであるが権力の喉笛に食らいつくこともできる。たしかそんなことを吉本が書いていたと思…

唯自分の考へてゐる処を表現しつくして、その時の何とも言へぬ安心から出発してもつと深い自分を見付けて行くのです。文章は少くとも僕達化学者が(化学をするものは皆化学者です。これ以外に化学者の定義はありません)書く時は、その様な安心立命を得るためと、その安心から出発してもつと深い自分を探して行くためであると思ひます。(巻頭言)

この初期ノートの文章は吉本が米沢の高等工業学校にいた時代に「からす」という、「同期回覧誌」というから同じ学年の学生で作る同人誌なんだと思いますが、その巻頭言として書いたものです。まだ若いころに書いたものですが、それでもその後の吉本の表現に…

文章を書いたり読んだりすると、現実を遊離してしまふなどと考へてゐる人は問題になりません。又文章を書いたり読んだりしながら現実を遊離してしまひはせぬかと不安に思ふ人は矢張り駄目なのだと思ひます。僕はその駄目な人間の一人です。(巻頭言)

こういうところは吉本の文章のうまさなんでしょう。「このなかにバカなやつがいる、それはわいや(⌒ー⌒)」というやつですね。深読みすればここにも後年の吉本がこだわった問題があるともいえます。文章を書くとは何か、文章を書くという行為のなかで深入り…

●それにもかかわらず、ある個人の未成熟な経路が、時間的な順列にしたがつていくらか公的な性格を帯びてよみがえるとすれば、そのかげに、言語に尽しがたいほどの愛惜の努力がかくされているとかんがえられる(過去についての自註)

この文章は吉本隆明の初期ノートのなかの「過去についての自註」という文章の冒頭部分にあたります。この文章には前段があって「あるひとつの思想的な経路は、それを「個」としてみるとき、あるひとつの生涯の生活を「個」としてみるのとおなじように、それ…

こういつた愛惜のまえでは、思想の巨きさと小ささとは価値をはかる尺度となえない。かれは、だれが何と言おうと、ひとつの取るにたらぬ個人の、未成熟な時代の作品をよみがえらせるために、どこかでそれを愛惜したのである(過去についての自註)

吉本はどこかで(作家についての自分なりのランキングがあって、そのランキングの基準は作品の出来ではなく、その作家が作品を作らざるをえない必然性です)という意味のことを書いていました。作家には作品を作る契機というものがあり、また作品を公表する…

誕生したとき、すでにある時代の、ある環境のなかにあつた、という任意性は、内省的な意識からは、どうすることもできないし、また意味づけることができないものである。わたしのかんがえでは、さまざまなニュアンスをもつた「存在」論の根拠は、つづめてみれば、かれ自身にどんな意志もないにもかかわらず、そこに「在つた」という初原性に発している。(過去についての自註)

私たちは生まれてこようとして生まれたわけではない。親子喧嘩で「誰が育てたと思ってるんだ!」とか言われて「産んでくれと頼んだおぼえはねえ」みたいなことを言いかえしたことのある人はたくさんいると思います。私も言ったことがある。そうするとたいが…

しかし、「存在」論が、現在、ある時代的な意味をもつて主張されるのは、生まれたり死んだりする「個」そのものが、現代では、あまりに自己自身からも、「自然」からも、みじめに遠ざけられているからである。(過去についての自註)

この部分に書いてあることとは別に、吉本は「個」が生み出され、それが時代とか社会とかに異和を抱くのは、時代や社会のせいだけではなく、一個の生命である「個」がもつ本質かもしれないということを書いていたと思います。まわりの世界すべてに異和を抱き…

彼自身が諦観してゐたやうに詩人宮沢賢治は本質的にはアジア的領域を脱することは出来ず、かへつて最も根本的な意味でアジア的(日本的)となつてゐます(再び宮沢賢治の系譜について)

宮沢賢治の作品はヨーロッパ風な舞台装置の上に展開されることが多い。また宮沢賢治の感性は当時の日本の文学者のなかで飛びぬけて異質であり、ヨーロッパ的であるといえると思います。しかしその宮沢賢治が本質的にアジア的(日本的)だったとはどういうこ…

古事記のもつ日本は暗い悲劇的な日本を感じさせます 私は日本民族の特性が淡白であり明朗であると言ふ言葉には幾多の不満を感じます 日本民族が深淵や悲劇に堪えないとする言葉は多くは後世の創造ではないでせうか 古事記のもつ執拗な粘着性と暗澹たる人間性(ヒューマニティ)は日本をアジアから更に切離して考へる傾向を否定してゐるやうに思ひます(再び宮沢賢治の系譜について)

古事記についての吉本の思想は「共同幻想論」に詳しく述べられています。古事記や日本書紀の解読を通して吉本は日本のまたアジアの共同幻想の構造を取り出そうとしています。「共同幻想論」での吉本は徹底的な論理的な方法で古事記や日本書紀の世界に向かっ…

仮りに君が街の市場へ出て飴の棒を購つて見給へ 針金のやうに細く可憐な飴が一本で一円するだらう けれど君はそれを売つてゐるお神さんを恨んではいけないのだ その理由は言ふまい お互に空腹だから黙つてゐても判るだらう 若し君が高い飴を売るお神さんも傷つけず、君自身の心も傷つけたくないと思つたら、甘いものを欲しがる心を抑へて買はないで済ますことだ けれど若し君の心は傷ついてもいゝ唯お神さんが可哀そうだと思つたら敢然として余り甘くもない針金のやうな可憐な飴をながめるがいゝ それとおなじやうに私の無門関を読むべきだ(

この「無門関研究」という文章は1945年つまり日本敗戦の年に書かれています。吉本は20歳くらいです。無門関研究といっても学術的な研究ではなく心情をぶつけたような文学的な文章です。「無門関」というのは中国の宋代(1200年頃)に無門慧開とい…

もう一週間に近くてもまるで身体を八裂きにされたやうな傷心は消えてゐなかつた 頭脳はもう動かず何も為たくなくなつた 電車に乗ればもう停るのが唯つらいのである 走るのが又つらいのである 電車を降りれば歩くのがつらいのである 歩けば止るのがつらいのである 私は無門関の最後に来た 私は今こそ無門関を直視すべきだと思つた もう二週間この状態が続けば私は精神分裂症となるのである(無門関研究)

吉本はいわゆる理性的すぎるゆえにオカルトとか宗教とかに違和感をもっているという人物とはちがいます。逆にオカルト的なもの宗教的なもの、現世を超越したものにたいへん心を惹かれる資質をもっていたと思います。そうした資質は娘の吉本ばななにも受け継…

夏目漱石の孤高は内的には惨憺たる自意識の格闘があり、外的には周囲の低俗との激しい反撥に露呈してゐますが、この根源に於て人間性に対する暖い愛を感じさせ、その愛が余りに清潔であつたための悲劇と解することが出来ます 漱石の苦悩には暖いものがあふれてゐるのです(或る孤高の生涯)

ここで若き吉本が述べている漱石の孤独の底には人間性への愛があり、しかしそれがあまりに清潔であったために悲劇を生んだとか、また後半のノートの文章にあるように宮沢賢治の孤独の底には人間性に対する愛は発見できず、それは科学的な修練が人間性への開…

併るに宮沢賢治の孤独は周囲の低俗との調和を保ちながら、実は徹底した冷たさを感ぜずには居られません 人々は彼の孤独に於て人間性の底に横はる愛を発見することは出来ないのです  常人は彼の孤高の心を思ひやるとき、寒くふるへずに居られません それは科学的な修練が、人間性への開眼に先行したからに外ならないと思ひます(或る孤高の生涯)

科学的な修練が人間性への開眼に先行したから、人間性への愛を見いだせなかったというのは考えられない気がします。科学的な修練などにたづさわる以前に人間は家族のなかで愛情を見出すものだからです。しかし吉本が洞察したように、宮沢賢治のなかに普通の…