後年、照合したところでは、『荒地』の詩人、北村太郎、田村隆一なども、わたしなどとちがつて一種の早熟な詩的少年として、この教師を囲んで時として集まる詩的グループのメンバーであつた。しかし、この私塾の教師は、わたしにとつて何よりもひとつの態度の教習場であり、その意味は、わたしにとつて詩作よりも、もつと深い色合をもつていた。わたしが、いくらか会得した、放棄、犠牲、献身にたいする寛容と偏執は、父とこの教師以外から学んではいない。(過去についての自註)

北村太郎田村隆一が少年のころ、この今氏さんを囲む詩的グループに参加していたということは今氏さんも詩を書く人だったんでしょうね。
この場を借りて、「母型論」に関することを補足したいと思います。何度か解説のなかで触れましたが、吉本はアフリカ的段階を探求することは未来の社会を描くことと同じ方法なんだと繰り返し述べています。なぜ大昔を探求することが現在から未来に向かう社会を考えることとつながるのか。その問題について、「琉球弧の喚起力と南島論」(1987河出書房新社)に明瞭な記述がありました。それによると、吉本は南島論に着手した60年安保後のころには天皇制を無化するという課題のために追及を始めたわけですが、この著作を書いたころの南島論のモチーフは変化していると述べています。天皇制を無化するというモチーフはさらに深化され、国家を無化するというモチーフに至っています。吉本は現在の社会の最大の障害となっているのは国家であり、それは社会主義国家とか資本主義国家という問題ではなく、国家自体の無化こそが最大の現在のテーマになると考えています。
では国家の無化はどのように可能となるか。それは「段階論」として歴史をとらえ、その歴史段階を地域的空間と相互に置きなおして考えうるという「時空間の指向変容」の方法によって可能となるわけです。するとアジア的段階の以前の歴史段階として「アフリカ的段階」が登場します。そのアフリカ的段階を時空間の指向変容をさせると、地域空間としての、アフリカももちろんですが、わが南島も「アフリカ的段階」の痕跡を色濃く残す地域として歴史的な重要性を担うことになります。天皇制以前であるばかりでなく、「アジア的段階」の特徴である専制国家以前の歴史性を残す地域だということです。
そこで南島論は「アフリカ的段階」の痕跡が日本のなかで残っている地域として、東北・北海道とともに、天皇制だけでなく国家自体の無化というテーマを負うことになりますが、何故そのことが未来の社会を描く、あるいは社会の次の「段階」を見通すという課題とつながるのでしょうか。「琉球弧の喚起力と南島論」のシンポジウムのなかで吉本は国家の無化という課題は、社会が「現在」に至って、ふたつの方向からの追及が可能になっていると述べています。ひとつの方向は「アフリカ的段階」を掘ることです。もうひとつの方向とは「世界都市」が国家の枠を超えていこうとしている先端的な現在をとらえることです。「世界都市」とは東京とかニューヨークとかロンドンとかパリです。そこにおいては経済とか、情報とか、文化とかを尖兵として国家の枠を超えようとしていると吉本は考えています。この考察は「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」として追及されてきたもので、ここで詳しく解説するわけにはいきませんが、要するに吉本が「古きをたずねて新しきを知る」じゃないですが、過去を掘る方法と未来を描く方法は同一であると繰り返し語っている理由は、ひとつには現在の「世界都市」のなかにある未来性と「アフリカ的段階」のなかにある過去性がともに「国家の無化」ということを思想的に可能にするという新しい時代性を押さえて言っているということがわかりました。
国家も天皇制も宗教もその本質は共同幻想であるというのが吉本の思想です。共同幻想は宗教から法へ、法から国家へと発展します。国家を無化するということは、この共同幻想自体を初源からその終焉まで一貫して把握することによって可能になるということです。また社会の「現在」は、共同幻想自体の構造の起源から終焉までの把握をおこないうる時代に至っているというのが吉本の判断であったと思います。

おまけです。

ぜんぜん知らない人ですがネットで「一歩の未来」というブログを読みました。そこに「母型論」についての簡潔ななまとめがあったので、無断ですがコピーします。この人はよくわかってらっしゃると思います。

母型論の意味(「一歩の未来」というブログから)
 吉本隆明の思想を追求する上で、本道となる三部作の、特に心的現象論本論を書き続けている過程で生まれてきた、理論的支柱の核心部をすくい上げているのが「母型論」だ。同時に、共同幻想論の現代的課題に立ち向かうために書かれた「ハイイメージ論」と「マスイメージ論」を書く過程で生まれてきたものを、贈与論、定義論でまとめた「母型論」、さらに言語美を言語サイドで発展させた起源論、脱音現象論、原了解論、語母論など、第二期の成果を横串にまとめ上げたのが「母型論」そのものだ。つまり、後期の最大の集大成を集約させたのが、この「母型論」で、吉本思想を全体として捉える上では、非常に意味のある書物ということになる。