古代人は抑圧に対する心理的な反応を宗教心に基づいて発動した。抑圧、欠乏の心理が美しい意想において発動されたとき古民謡がそれを代表するものであつた。近代の抑圧に対する心理は経済的及び社会的な体制の打破に向ふことは必然である。(芸術家について)

このノートに書かれた発想、つまり古代の人々が生み出した美しい、壮大な、妖しい幻想の土台には抑圧、欠乏の状態に置かれた共同体の生活があるという発想は、粘り強く追及されて後年の「共同幻想論」にまで展開されていったといえると思います。たとえば「共同幻想論」の最初の章は「禁制論」ですが、そこで吉本は柳田国男の「遠野物語」から村落の禁制の伝承を取り上げています。たとえば遠野のある長者の娘が雲隠れして数年がたった。つまり遠野の村落の娘は村落の禁制である村落の外に出てはならないという掟を破ったわけです。それでその村の猟師が山の奥でその娘に会います。猟師はおどろいて、どうしてこんなところにいるのかと問います。すると娘はある者にさらわれて今はその妻になっている。子供もたくさん生んだけれど、夫が食べてしまってじぶん一人である。じぶんはここで一生涯を送るけれど、ひとにはいわないでくれ、おまえも危ないからはやく帰ったほうがいいといった、というような民話です。娘をさらった者は「山人」と呼ばれるものです。この恐ろしい「山人」のイメージも村落の共同幻想といえます。村落を取り囲む山々のなかに潜む美しい女とか恐ろしい山人とか妖しい桃源郷とかは村落の禁制が生み出した共同幻想といえると思います。そして「禁制論」の末尾で吉本は書いています。「わたしたちの心の風土で、禁制がうみだされる条件はすくなくともふた色ある。ひとつは個体が入眠状態にあること、もうひとつは閉じられた弱小な生活圏にあると無意識のうちでもかんがえていることである。この条件は共同的な幻想が生み出される条件でもある。共同的な幻想もまた入眠と同じように、現実と理念との区別がうしなわれた心の状態で、たやすく共同的な禁制を生み出す。そしてこの状態のほんとうの生み手は、貧弱な共同社会そのものである」と。
現在では山のなかの山人という共同幻想は消滅したといえますが、海の向こうの同じアジアの国については、怖ろしい、妖しい、残忍な連中だという共同の禁制のイメージはマスコミを通じて流布されていると思います。それは支配層の狙う今後の戦争への心理的な下地を作っているとわたしは考えます。そしてそうした近隣諸国への憎悪や恐怖の禁制の共同幻想のほんとうの生み手は、日本の貧弱な共同社会そのものであるといえるわけです。
常に生活社会そのもののなかに身を置いて、その抑圧や欠乏、あるいは逆に解放や豊かさの生活状態から共同の幻想である国家や政治や知や芸術の世界を視る、というのが吉本の根本的な思想の方法であったと思います。
このへんで「母型論」の解説に移らせていただきます。「母型論」の「起源論」から「脱音現象論」と「原了解論」で「母型論」は終わるわけですが、ここで吉本が追求したいテーマは日本のアフリカ的段階とは何かということだと思います。なぜその追求がしたいのかというモチーフについては今まで解説してきましたが、十分なことはいえていません。わたしがダメだからですが、吉本がそのモチーフについて書いている文章のなかで以下の文章が重要だと思います。
「停滞と保存は段階を構成したとき、はじめて自然史の必然から解き放たれる。すべての未開や原始やアフリカ的な段階が意味を現代に再生するのは、そこに根拠を置いている」(「母型論」の「起源論」より)
これはどういう意味かということですが、よくは分からないんですよ。わかる人は教えてください。わたしが考えるには段階を構成するということは、段階が意識されるということだと思うんです。これは卑俗には流行ってものに置き換えてみることもできると思います。ある流行のファッションだとかしゃべり方だとか食事とかの流行が変わるときには、いままで当たり前のようにやっていた習慣が流行のひとつだと気づくんだと思います。それはそうした生活の習慣が停滞と保存によってある流行というものを作ったということと、時代がその流行とずれ始めたことを敏感な連中が気づいたということとに根拠がある気がします。
意識するということが自然史の必然から解き放たれるということと関連すると思います。動物は自然史の必然から解き放たれることはないわけです。人間だけが自然史の必然から意識するという対象化の行為によって解き放たれます。人類の歴史を段階の移り変わりという観点でとらえ、その段階から次の段階への移行において何が獲得され、何が失われたかを考えることが、いま当たり前のように生活している現在の社会のあり方もひとつの段階であり、その次の段階への移行を内部に秘めていることと、その移行がどのように行われるかを先読みする方法であると吉本は考えていたと思います。
もうひとつ吉本の文章をあげてみます。
「おまえは何をしようとして、どこで行きどまっているかと問われたら、ひとつだけ言葉にできるほど了解していることがある。わたしがじぶんの認識の段階を、現在よりももっと開いていこうとしている文化や文明のさまざまな姿は、段階からの上方への離脱が同時に下方への離脱と同一になっている方法でなくてはならないということだ。(中略)
どうしてその方法が獲得されうるのかは、じぶんの認識の段階からの離脱と解体の普遍性の感覚によって察知されるといっておくより仕方がない。(中略)
そこでわたしがやったのは、じぶんの好奇心の中心に安堵できる段階からの離脱と解体の普遍性の感覚を据え、孤独な手探りににも似た道をたどることだった」(「母型論」の「序」より)
現在のわたしたちがひたっている文化や文明のありかた自体が、ひとつの段階であり、その段階は必ず上方へ、つまり未来に向かって離脱し解体する。その先に次の段階を構成する社会がやってくるわけですが、それを手探りする方法は今までわかっていると思っているもっとも古い段階とみなされていたもののさらに下方の、つまりもっと古い段階を認識することと同一になっていなくてはならないと言っていると思います。それはより起源というものに近づくことが起源からの段階の移行の連続という歴史を見通す方法だという意味です。やはりなんかわかったようなわからないような感じですが、わたしにはここまでしか今はわからないので、とりあえずこういうことにして先に行ってみたいと思います。
先に行ってみたいと書きましたが、もうひとつ。人類のたどってきた段階というものは、消え去るものではなく社会のなかに、また個人のなかにも累積されてあるものだということだと思います。だからまだよくわからない起源の段階というものも、この社会のなかにまたわたしたちの意識や無意識のなかにもすでにあるものだということになります。その起源というものが移行に移行を積み重ねてきたわたしたちの現在に対して、揺り戻すような働きをもっているんだと考えることもできると思います。そして段階から段階への移行のときに、その揺り戻しの働きは強く作用するとみなすこともできるかもしれません。今の社会の段階が段階として意識され、次の段階への移行が模索されるときに、起源というものが同時によみがえってくる。それを無意識によみがえらせるのか、意識してよみがえらせるのかが未来というものに意思を働かせられるかどうかの思想の問題だということになります。やっぱりわかったようなわからんような感じすね。
さて先に行きますが、「母型論」のラストである日本語のアフリカ的段階は何かを追求した「起源論」「脱音現象論」「原了解論」へのモチーフを解説しておきたいわけです。日本のアフリカ的段階はどうなっていたのか、という問題意識の解明の方法のひとつが言語からのアプローチです。
そのアフリカ的段階の言語の解明のために、個体のにんげんの乳胎児の言語以前から言語獲得の時期の解明を関連させて考えていくわけです。
吉本が段階ということを考える基盤はヘーゲルにあります。そしてヘーゲルがプレ・アジア的段階(吉本が名づけたアフリカ的段階)について述べている認識に違和感をもつことからアフリカ的段階の考察を始めています。ヘーゲルのアフリカ理解は「わたしたちにとって興味のある唯一の教訓は、自然状態(註:アフリカのような)というものが絶対の徹底した不法の状態である、という理念の正しさです」(ヘーゲル「歴史哲学講義」上)という言葉に象徴されるように、ヘーゲルヘーゲルの時代のアフリカの原住の人々(黒人)、それはアフリカ的段階のあり方をいまに伝えるものですが、そのあり方を残虐、野蛮、未開というふうに断じているわけです。だとするとわたしたちの起源は二度と戻りたくない、戻ってはならない暗黒だということになるでしょう。だとするとわたしたちの行く道は、進歩あるのみということになります。それは行きっぱなしの史観です。戻り道のない史観ということになります。
しかしヘーゲルがヨーロッパというアフリカに対する外側から見た(外在的に見た)理解が、逆に内在的に見るとするとどう見えるのか。日本人としての吉本は、ヘーゲルとは異なる視点からアフリカを見ようとしています。それは角田忠信の研究を吉本が日本人にはアフリカ的段階が色濃く残存していると思想的に解釈したことも関連しています。そのヘーゲルと異なる視点からのアフリカ的段階の解明というのが「起源論」以降の「母型論」の最後の部分のテーマにあたります。
アフリカ的段階についての解明といっても、それは言葉以前あるいは言語の初期の状態の解明ですから資料が少ないわけです。「日本書紀」や「古事記」といった最古の書物や、沖縄やアイヌ聞き書きのような資料しかないわけです。あとは骨やウイルスや遺伝子の研究から解明されつつある日本のアフリカ的段階という科学的成果があります。それらを取り上げて吉本がやりたいのは、日本のアフリカ的段階のイメージというものの形成だと思います。吉本は「母型論」の「序」で「柳田国男が「海上の道」を書いて、日本人はどこから来たかという課題に、じぶんの世界にたいする理念のイメージをこめて立ち向かったのは、生涯の経験値を叡智にまで凝縮した円熟期にはいってからだった」と書いています。長い長いフィールドワークの経験と知識や考察をこめて世界観を凝縮したイメージを作ったということです。またそうしなければ、資料なき時代を再現することはできないでしょう。
「これが実証的に正確か誤謬かなどと挙げつらっても、まったく無意味なことだ。それは学説ではなく、イメージで造成された世界観だからだ。これが理解できなければ、柳田国男を理解したことにはならない」(「母型論」の「序」より)
そして吉本自身も柳田国男がやったように、しかし自閉的な自己資質にふさわしいやり方で世界観をイメージとして凝縮しようとして「母型論」を書いたと述べています。日本におけるアフリカ的段階とはどのようであったのか。それは日本人はどこから来たのかという柳田国男の問題意識とも重なる問題です。そしてそれは日本語がどのように形成されたのかという問題でもあります。しかしそれだけではなく、日本におけるアフリカ的段階のあり方という内在性の解明が吉本の全生涯の叡智をこめてイメージとして描かれようとしていることは、現在のわたしたちの内奥にあるであろう起源の精神性が今後の歴史の段階的移行にどう関わるかという現在の先端的な問題につながるものです。つまりアンタや俺のこれからの問題です。