怠惰は何も与へることをしない。それは全然与へることをしない。怠惰に与すること長く、且つそれを脱することの苦痛を知つてゐる僕。併し僕は怠惰から得する算段をやつてゐた。僕はそれで、かの礼儀正しい優等生と全然異つた原理を信ずる様になつた。今、定かにそれを述べることは止めよう。(原理の照明)

怠惰とはなまけることですが、漱石高村光太郎もなまけた時期があるそうです。なまけたから偉大な文学者になったということではないでしょう。しかしなまけた体験をその人がどう考えたかということは、その人の思想にとって重要な気がします。それが「怠惰から得する算段」という言葉の意味だと思います。なまけて遊んでちょっと悪いこともいろいろやっちゃったというようなことをデカダンスともいいます。デカダンスに取り柄があるとすれば、この社会の価値の秩序というものがあって、その秩序のなかでより知的にとか、より富裕にとか、より健康にとか、より美しくとか、価値秩序の上へ上へと登ろうとしている時には気づかなかったものに気づくということだろうと思います。生まれたときにすでに周囲に秩序ができあがっていて、疑うことなくその秩序の上にあがろうとする、それが「礼儀正しい優等生」という連中ですが、その秩序というものを対象化して考える契機になるのがデカダンスというものだということです。また秩序を解体して別の原理を生み出す契機となるともいえます。
こうしたデカダンスについての吉本の思想や体験がこめられた批評としては、私は「書物の解体学」という著書の「ヘンリー・ミラー」の章が優れていると思いますし、大好きな文章でもあります。ヘンリー・ミラーは日本の「礼儀正しい優等生的な文学者」(大江健三郎みたいな)からは、知性のある高級な文学者といったふうに捉えられているわけですが、吉本のヘンリー・ミラーの捉えかたはぜんぜん違うわけです。チンピラ、ルンペン、女ったらし、性格破たん者、むしろそういうふうにミラーを捉えています。町の裏側に棲んでいるそうしたチンピラと変わらないやつとしてミラーを見ているんだけど、ではなぜヘンリー・ミラーヘンリー・ミラーなのかというと、それは秩序のなかで上昇しようという意思を徹底的に放棄したからだというのです。この社会のなかで何ものかになるという意思を徹底的に放棄した。その放棄の眼から見た社会の像が、解体しつつある社会のありようを映し出す、それがヘンリー・ミラーの文学だというようなことです。
では「全然異なった原理」というものがどのように追及されていったのか、というように話を無理くりにつなげて、「母型論」の解説に移らせていただきます。前回の「起源論」のおおざっぱな概説の補足ということになります。日本列島に初期国家の生まれる以前、未開原始の時代、吉本の概念では「アフリカ的段階」の時代はどうなっていたのかという問題です。この問題を言語のあり方から考えています。言語が生まれ、分節化されて各民族語や方言に分かれていく、それ以前の言語、あるいは前言語はどうなっていたのか。自然音というものと前言語との関係を考えますと、自然音と人間の発する音声(前言語)とは区別がついていなかった段階だと考えることができます。
自然音にはリズムをもつものがあります。たとえば波の音、川の流れの音、雨の音、虫の鳴き声、風の音などは繰り返すリズムをもっています。この繰り返すリズムが、音声の分節化を促し、前言語を言語に近づけていく契機をなしたと吉本は考えます。人間の音声と自然音の区別の意識がない段階から、自然音のリズムを契機に人間の音声の分節化が始まったということです。リズムがあるということは自然音が分節化されていることだからです。ミーンミーンミーンという蝉の声は「ミーン」という独立した自然音の繰り返しですから、それを分節化とみなします。
するとこのリズムを意識し、分節化に向かうわけですが、その段階が保存される期間ということが問題になります。比較的すみやかに前言語が分節化に向かって移行していった地域と、長く分節化に向かう段階が停滞し保存された地域があるだろうということです。もし自然音と言語音を区別する意識がない段階から分節化に向かう段階のうち、細かく分ければさまざまな段階があると考えられますが、この分節化に向かう段階が長期に保存されていたならば、そういう地域では逆に自然音を言語音として受け入れることができるにちがいないと吉本は考えます。お分かりでしょうか。解説が下手で分かりにくいかもしれませんが、最初は音声(言語音)と自然音の区別がないわけです。そこから音声が分節化されて言語が生まれていくわけですが、その過程が長くゆっくりと進み、その過程の特徴が保存された地域では、自然音が言語として受け入れられるという特徴があるはずだということです。その地域のひとつが日本だと吉本は考えているわけです。
日本(ヤポネシア)とかポリネシアとかメラネシアでは、こうした過程のもっとも古い段階の特徴、すなわち自然音が言語音と等価である特徴が残っていると考えます。こう考えると角田忠信の研究である日本人とポリネシア人だけが自然音を言語脳で聴くという問題ともつなげることができるわけです。
自然音と人間の音声をおなじ言語音として感じる次の段階は、さまざまな度合いの擬音語(擬態、擬情語)だとおもえると吉本は述べています。これは具体的にいうと、風の音を「ヒュウ、ヒュウ」という言語であらわすのは擬音語といえます。現実の風の音が聴こえ、それは繰り返すリズムであることが意識されます。その繰り返す自然音を人間の出す音声で言いあらわそうというなぎ長い時間をかけた試行錯誤があります。そして重要なのは、その時に風の音という自然音を言語音として、つまりなにかを訴えている言葉として聴いているということです。たとえば風が吹く音は悲しい声をだしているというふうに感じるわけです。そしてその言葉でもある自然音の風の音が「ヒュウ、ヒュウ」が一番適切だというふうに決まっていくでしょう。それは「ヒュウ、ヒュウ」という母音と子音の結合が分節化された言語として生じたということです。それが分節化のもっとも古い段階の言語の特徴だろうと吉本は考えています。
自然音を擬音として取り出すことができると、その擬音としての言語音のなかには、自然が言葉を話しているという意識も入っています。そして長い長い時間をかけて言語の分節化は進み、さまざまなことを言語で言いあらわすことができるようになるわけですが、その発達していく言語のなかに、自然が言語を話しているという意識が停滞し保存されて残り続けると考えていきます。そして日本に残る最古の文字言語である「古事記」や「日本書紀」にその特徴を探るという問題意識が生まれます。「古事記」や「日本書紀」は音声しかなかった段階から文字が生まれるまでの言語の発達の長い期間が想定されます。だから「記」(古事記)や「紀」(日本書紀)からじかに初期言語そのものを探すことはできません。最古の文字といっても最古の音声の段階からは目もくらむような時間が経過しているからです。
「記」や「紀」は「神話」です。日本の神話の特徴とは何か。そこから探り出すことのできる文字成立より遥かに遡った言語の発生の時代の特徴とは何か。そういう問題意識です。吉本によれば、日本の神話の根本的な特徴となっているのは、概念自体を神とみなしていることです。
第一に「天地の中心」という概念、また「独りでに生成すること」という概念自体が「神」に見立てられているということになります。「天地の中心」という概念は「天の御中主(あめのみなかぬし)の神」、「独りでに生成すること」という概念は「高御産巣日(たかみむすひ)の神」「神産巣日(かみむすひ)の神」と名づけられているそうです。これらの概念は抽象的であるため、神では人格神としての具象性をおびてはいない。つまり人間みたいな神さまではないけれども、概念そのものを神としてみなすことはきわめて特異な神話の思考であると吉本は述べています。
日本神話の特徴である概念自体を人格神(具象性はないが)化の次の特徴は、この神の概念がやや具象性を帯びていくことです。たとえば湿地帯に葦の芽が生えて育つ状態、または育った葦原の湿地が「神」に見立てられるそうです。これは「宇摩志阿斯詗備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神」、その葦の湿地帯のうえをおおってつづく天空をあらわす神名を「天の常立(あめのとこたち)の神」と呼んでいます。これは自然現象を名づけているというより、自然の理念の特徴を名づけているといった方がいいと吉本は述べています。もう少し先まで行くと、国土あるいは国の土地という理念を神名にした「国の常立(くにのとこたち)の神」や空の雲がつづく野原(野原のような雲のひろがり)を「豊雲野(とよくのの)神」と名づけていると吉本はいいます。
さらに次の段階で「生成すること(もの)」が、性にかかわるという認識をあらわす神として一対の男女神の名がつけられると吉本は述べています。この一対の神々のなかに有名な「伊邪那岐(いざなき)の神」と「妹伊邪那美(いざなみ)の神」がいます。
これらの神の名前をつける特徴が日本神話の特徴です。最初に天地が生成するという具象性のない概念自体が根源的な神とみなされて名づけられます。次に自然現象が自然現象そのものというより自然という理念をあらわす感じの神が名づけられます。そして男女の神というものが名づけられ、そのなかのイザナキ、イザナミという男女の神が日本列島を産み落とすという神話になっていくわけです。この男女神が生み落す神々があるわけですが、それが日本列島の島々から始まって、ありとあらゆる具体的な自然現象に至るわけです。この自然自体がなにかを言語として訴えかけているという意識から始まって、個々の自然現象が何かを言語として語りかける神々であるという意識までの長い長い時間の経過を、古事記の時代の意識からとらえ返して記述したものだといえると思います。