現代の現実が何故に倫理的構造を持つに至つたのかといふことを厳密に考察することは極めて困難であるが、ぼくは次のやうな箇条がこれの解決のために挙げられねばならないと考へてゐる。①一つの原因の周辺に無数の原因が集積するといふ近代社会機構の特質が、現実を二つの極に集中せしめようとしてゐる。この現実の分極といふことは、人間精神の倫理的形成に同型である。換言すればかかる現実の構造は倫理性を喚起せしめるものである。②現代において人間の生存といふ課題が重要な条件として生起してゐる。生存は生存からの上昇または下降として考察

このノートの部分(箴言Ⅱ)は1950年〜1952年ころに書かれているそうです。吉本は1950年に何をしていたかというと、大学を卒業して2、3の町工場に就職しますが、労働組合運動で職場を追われて、母校の東京工大の研究室に戻ります。1952年には東洋インキ青砥工場に就職して、翌53年には東洋インキの労働組合長になっています。1956年には東洋インキも組合運動によって退職していますから、もうこの時代はバリバリの組合活動家だということです。東洋インキ退職の年に友人の奥さんであった女性と三角関係の末に今でいう略奪婚で結婚しています。ノートの文章の表面には現実の具体性はあらわれず、抽象的な語彙で論理的な考察が書かれていますが、吉本の現実生活のほうは公私ともに嵐のなかにあり、そのなかで「固有時との対話」や「転位のための十篇」の詩集や、「マチウ書試論」や「文学者の戦争責任」といった評論が書かれています。60年安保闘争に吉本が参加し逮捕投獄されるまであと5年くらいという時期。吉本の生涯の思想の核はここで表明されています。
このノートの部分で現実の分極といっているのは権力や支配の層と、大衆の層との分極ということだと思います。現実が支配と被支配とのわかれていくことが、人間の精神を倫理的にせざるをえないということでしょう。現実を考えれば、それをそのままにしていいのかどうなのか、という問いを精神が問わざるをえないということです。
生存からの上昇とか下降とかといっているのは吉本独特の用語ですが、私が考えるにはおそらく単なる生存自体が課題だというときには、被支配におかれた大衆の運命、貧しさとか戦争死とかの問題になるんだと思います。そうした大衆の運命から個人の努力で這い上がっていこうという矢沢永吉みたいな志向を上昇と呼ぶとすれば、下降とは何か。それは大衆のなかにあって、大衆と運命をともにしながら世界の全体を把握したいという知識人の志向なんだと思います。いずれにしても時代や社会が負わせる運命に逆らおうとするわけですから、倫理的だということになるわけです。吉本は大衆の運命とともに生き、そして思想としてその運命から下降する、つまり必然性の底にまで思考を届かせて大衆の運命の先をできるかぎり読み切ろうとしたと思います。
それでその成果としての「母型論」の解説に入ります。吉本が「母型論」で追求したいことは言語が発生する以前のこころの問題だと思います。それは赤ん坊が言葉をしゃべりだす前の問題であるとともに、歴史に置き換えれば、原始未開、吉本の造語では「アフリカ的段階」のこころの問題でもあります。なぜそこを追求したいかといえば、その起源の問題をあきらかにすることにさよって現在の社会の先を読み切りたいということにつながるからです。
そこで言語の発生という問題を考えると、それは言語の分節化ということになっていきます。言語の分節化ということは、言語が各地域の民族語に分化する問題であり、また同じ地域でも微妙に異なっていく方言の問題でもあります。言葉が分節化されて、さまざまな方言や民族語に分かれていくのは何故か。吉本の考えによれば方言がさまざまに分化していくことも、民族語がさまざまに分かれていくことも、たいした問題ではない、それは「喉仏から上のところを加減することで違ってくる」問題にすぎないと述べています。ここを解説したいと思います。
にんげんの身体の共通性ということを考えますと、各民族、各地域で顔色が違うとか、顔の形が違うとか口腔の違いとかはありえますが、あまり大きな違いはないといえます。つまりにんげんの身体というものは、世界各国各地域でそれほど大きな違いはない。では言葉がべつべつに発展していくのは何故か。そこで言葉の発生の根源にある偶然性というものを吉本は指摘しています。前にも解説しましたが、言葉がある対象をある呼び方をすることは偶然としか考えられないということです。しかし民族語や方言の分化をすべて言葉の生まれるのは偶然だからということで説明はできません。他の要因もあるわけです。しかし根源的な偶然性というものは逸するわけにはいかないということです。
他の要因というのは、西欧が言語を微細に発達させ、アジアはある発達段階にとどまっているのは何故かということに関連します。そしてそれは角田忠信の研究による日本人とポリネシア人だけが音やイメージも左の言語脳で受け止めるという研究に関連します。それでまたこれは言語が発生する以前のこころは何か、ということにも関連してくるわけです。
日本人とポリネシア人だけが自然音を言語として聴いてしまう、ということをもっとも古い段階の言語の状態だと考えてみます。つまり前に解説したように、現在の日本とポリネシアという地域的な問題を「時‐空間の指向変容」させて歴史段階に置き換えているわけです。もっとも古い段階の言語のありかた、それは自然にまみれた「アフリカ的段階」の言語、分節化される以前の言語のなごりを残した言語のあり方だと考えます。それは吉本の言語論で考えると、分節化されていない自然音を意味ある言語と同じように受け取っているということになります。虫の鳴く声は日本やポリネシア以外の地域では、ただの自然音で意味がそこにあるわけではない。虫が言葉(あるいは言葉以前の言葉)を発して意味(あるいは意味のようなもの)を伝えてくるとは感じないのだと角田忠信の研究は述べているわけです。
この自然が言葉を発しているように聴くという段階から、次第に言語が分節化され、それと同時に言語は人間の言語であり、自然音は自然音で言語とは異なるということになっていくと思います。しかしこの分節化にも途中で停滞する地域があり、またどんどん分節化が進むとみなされる地域があるという問題があります。吉本が「母型論」で述べている例でいえば、摩擦音(たとえばfis)が言語としてある地域とない地域があるということがあります。この摩擦音がなく、音素が貧弱で類音類語が多い地域はアジア、オセアニア南アメリカ、アフリカで、いわゆる第三世界であり、欧米の言語は摩擦音があり言語の分節化が進んでいます。吉本によるとその違いは白人種が先天的に優秀で有色人種が劣っているということではない。言語の分節化の要因には根源的な偶然性以外に、風土の問題がある。比較的寒冷なヨーロッパの原住民が偶然にも人類の歴史的な文明の担い手になり、自然が豊かで自然を人工化する必要が少ない地域のほうが言語を分節化する必要が少なかったということが考えられると吉本は述べています。自然を対象化し、加工し、作り変えるということが言語の分節化の契機となる要因があるということでしょう。しかしそれは各人種間の優劣の問題にはなりえない。それは偶然の問題であり、喉仏から上の人種間の違いというものが分節化の違いの原因だったわけではないと吉本はいっています。
つまり言語の根源的な発生の偶然性というものと、分節化の進展についてのさまざまな地域的な風土の違い、文明化の違いなどがあって、言語は分節化がさまざまに展開して民族語や方言の違いを生み出していくわけです。しかし言語の本質論からいえば、それは「たいした問題ではない」と吉本はいうわけです。では「たいした問題」はどこにあるか。それは「喉仏から下」の人類の共通性、すなわち内臓にあるということになります。
ここにきて、吉本の言語論と三木成夫の研究とがつながる領域があらわれます。同時に赤ん坊の問題と「アフリカ的段階」の問題がつながる領域です。また現在の超資本主義社会の先を見通す「価値論」の問題にも、すべてがずるずるとつながる「母型論」的課題に入るわけです。
『アウアウというのは言葉じゃないじゃないか。ちっとも分節化されていないし、民族語にもなっていないじゃないか。こんなの言葉と認める必要はないという考え方に対して、いや分節化されてなくても、言葉はことばとしてあるということなんです。僕の言語論はそれでいい。民族語の区別もそれほど認めない。方言と民族語の区別も認めない。母音の個数の違いに意味があるというのも認めない。ただ、人間は音声というか、喉仏の上のところを加減することで民族語も皆違っちゃうんです。それはそうだけれども、言葉は内臓語だぞ。喉仏から下の内臓のところでしか言葉を発する根源は出てこない。言葉とは何ぞよというのは、心の働きを主体にして、それだけで言葉の価値概念は十分に成り立つ。その背後には現在から受け取っている感覚機能もそこに入ってくるから、正確に言えばそう言わないといけないのだけれども、全面に出てくるのは、内臓の動き方でもって、言葉は決まっちゃう。だから、分節化されるかされないか、民族語に分かれるか分かれないかは、お前の考え方からは出てこないと言われれば、それでも良いさとなってしまうんですね』(「吉本隆明の文化学 プレ・アジア的ということ」より)