だが必然的な(無意識的な)歪みは、恐らく革命家の意企の外にある。恐らくそれは自覚自体の有償化に頼るより外ない。(形而上学ニツイテノNOTE)

自覚自体の有償化というのは最初に書いたように、自覚ということをさらに意味づけることなんだと思います。自覚を自覚するというか、意識する、考えるということ自体の根底を探るということだと思います。それは無意識の世界を把握すること、つまり「母型論」が試みている試みです。初期ノートで吉本は自覚自体の有償化は下降する倫理によって行うしかないと述べています。下降する倫理というのは要するに倫理という人間の精神の核を丸裸にしてしまうことです。すべてを無償に戻して考えたいというのが吉本の思考の癖だといえるでしょう。時間がないのでこのへんで。

おまけはありません。あしからず。