豊富な世界で富は果実のやうに分配せられます。彼等は窮乏する世界をかへりみる要なき者たちです。これは彼等の習性ではなく、人間が負ふべき習性です。人間の習性のうち最も普遍的なものは、自らの必要なくしては何も産み出さず、自らの必要なくしては何事も為さないといふことです。窮乏する世界の人達は自らの窮乏を思考せざるを得ません。そしてその結果何を産むでせう。(原理の照明)

吉本はこの社会がこれからどうなっていくのか、どうすれば人間の解放につながる方法があるのかということを終生考え続けたわけです。その姿勢を大学教授でもなく政治家でもなく一介の文筆業者という場所で貫いて、その思想が知的な政治的な指導者ぶった人々を凌駕する水準に到達するということをやってみせて亡くなりました。この意味がとても大きいんで、一般大衆つまりアナタやわたしでもやりようによっては知的にリーダーシップをとりたがる連中を乗り越えて自分の判断で世界を把握できる道を生涯を費やして切り開いてくれたと思います。村の人々のために生涯をかけて山をほじくってトンネルを作ったという民話の坊様のようなものです。そのトンネルが、隧道が吉本の数多くの著作です。
この初期ノートの文章は敗戦で疲弊した日本社会が高度成長期を迎える手前の貧しい一般大衆が大多数で存在していた状況で書かれています。そしてマルクスの影響で左翼的になっていく吉本の考察を示しています。しかし高度成長期を通過した日本社会は欧米の社会と肩を並べる先進資本主義国になり決定的な社会構造の変化を迎えました。吉本はその構造変化を一般大衆の位置から尖鋭に感受し論理化していきました。単独で、権力や知の世界のしがらみを拒絶した場所でそれを公表していったわけです。そういう吉本は副島隆彦が追悼の文章で書いていたように終生革命家だったともいえると思います。その革命家という概念は埴谷雄高が「蜘蛛の巣の張った屋根裏部屋で寝転んでいたって革命家でありうる」という意味の革命家です。思考が革命的であるという概念です。
明日の米の心配をするというような物質的な窮乏の問題を日米欧のような先進資本主義諸国はおおかた解決してしまったわけです。そこから先進国が突入していった新しい社会構造、それは消費が大きな意味をもってくる社会であり、第3次産業が産業の中心を占める社会であり、物質的な窮乏の課題が終わり、新しい課題が浮上し始める社会です。だからこの初期ノートの文章はその後の吉本のなかでは変わっていく当時の社会観を示しているということです。
吉本が「母型論」を書いたモチーフを考えてみますと、この新しい社会構造をどう分析するかという終生の課題からであったと思います。「価値」という問題を母型論にからめて前回解説したわけですが、吉本は理想の社会を「価値法則のない社会」という言い方をしています。その問題をさらに「吉本隆明の文化学(1996 文化科学高等研究院出版局)」から探っていきたいと思います。この本の「言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移」という章(たぶん講演を書き下したもの)に、吉本が「母型論」の追求に向かったモチーフに関して重要な発言があります。まずはおおざっぱにこの章でどのようなことを言っているかを概観してみます。
最初にマルクスの価値論、価値形態論というものが「資本論」のなかにあるわけですが、それに対する批判、どう別途に展開するかという問題を吉本は語ります。ここで重要なのは吉本は「言語にとって美とはなにか」を書くときに、言語の価値という考えをマルクスの価値論から得たと言っていることです。マルクスの価値論を言語の理論に応用した。そしてソシュールも同様にその言語論をマルクスの価値論から考えたと吉本は言っています。しかし吉本はソシュールとは別の形で自分の言語論を展開したと述べています。マルクスの価値論は労働価値説として展開されています。労働価値説の背景にあるのはマルクスの自然哲学です。おおざっぱにいえば、吉本はマルクスの価値論である労働価値説を言語論にもさらに娯楽とか芸能とか遊びとか余裕とかを含めた人間の活動すべてに通用するように拡大したいと考えた時に、マルクスの価値論は息苦しいと感じると言っています。なぜ息苦しいと感じるのか。それはマルクスが人間が自然に対して対象的な行動をすると、それを労働と考えるわけですが、そういう行動をしたところから自然が全部価値化されていくと考えることになる。それが息苦しさを感じさせると吉本は述べています。そこで息苦しくない価値論というものを吉本は考えようとします。それはおおざっぱにいえば「無形の価値」「精神的な価値」というものを価値としてどう組み入れるかという課題です。「資本論」の価値概念には無形なもの価値は含まれていないわけです。
無形の価値概念を考えるということから、吉本は言語の理論に入っていきます。するとマルクスの価値概念が文学の理論に応用できると吉本が考えたことが分かります。応用することができるということは、マルクスの価値概念の拡張にあたります。ではマルクスの価値概念を人間の無形の行動というか、休息や余暇にまで拡大、普遍化するにはどうしたらよいか。そこで吉本は価値と意味というものの分別を行います。マルクスが価値といっていることのなかに価値と意味という別の概念が混合していることを指摘します。すると意味から分別された価値の概念は狭くなると同時に深化されるわけです。そして意味から分別された価値の概念は無形の精神的な価値を含むものに拡大されます。それが吉本の言語論としての「自己表出」の概念です。
次に言語論として吉本が考えたものをどう身体生理と結びつけるかという課題が語られます。そこで吉本にとっての三木成夫の研究との出会いの大きさが述べられます。三木成夫の仕事を組み込むことで、吉本は人間の生理器官の動きと言語の価値と意味の考え方を結びつけることによって、マルクスの価値論を人間の活動の全体に拡張する普遍的・一般的な価値概念を作るけんとうをつけることができたと述べています。そこから「母型論」に書かれたモチーフに接続するわけです。「母型論」の概観はすでに解説してきたものなので触れませんが、ここで吉本が述べている重要なことは受精以前の無意識はありうるのかという問題です。フロイトユングの無意識学説が対象としているのは誕生以降の人間の内面性です。そのフロイトユングの無意識論を拡張して誕生以前まで、つまり胎児の段階まで広げて考えるということが「母型論」のテーマですが、吉本は「母型論」では取り上げていない課題をもっていました。それが「胎児以前」という問題です。胎児以前ということは受精から胎児が始まるわけですから、受精以前ということになります。こういう徹底性というか思考の極限までたどるところに吉本の吉本たる姿をわたしは感じます。吉本はこの受精以前の無意識の問題を考えるにあたって唯一ヒントになったのは麻原彰晃の「生死を超える」という著作だったと言っています。こうした常識にも知の世界のしがらみも拒絶した発言はオウムの事件当時に問題になり、知人の離反やメディアのバッシングを吉本は支払ったわけです。受精以前に無意識の問題はさかのぼることができるか、という課題は遺伝生物学などの進展にかかっているものですが、その可能性のなかに吉本は化学と宗教の合致を視ているのだとわたしは思います。
この「言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移」の章の概観を書こうとしてきましたが、概観であってもまだ半分です。超おおざっぱにまとめれば、この後に「母型論」に書かれたように言語発生以前の胎内の問題から言語の発生期の問題に進みます。それは歴史に転化して考えるならば民族語に言語が移行する以前の問題ということです。するとそれは「アジア的」な歴史段階とそれ以前の「アフリカ的」な歴史段階の問題になるわけです。そこから逆に先進的な消費資本主義と吉本が名づけた現在の日米欧の社会構造と、農業主体の貧しいアフリカなどの国への贈与の問題、そして贈与価値の形成という問題が登場します。ここで重要なのは、アジア的段階、そしてそれ以前の「アフリカ的段階」と吉本が名づけた未開・原始の段階の追求が、現在の社会とその将来の姿に連結する方法として吉本が考察しようとしていることと、もうひとつ価値論として貨幣を普遍的な価値とする現在までの世界のありかたから、言語を価値の普遍的な源泉とする価値概念への転化ということを明瞭に語っていることです。言葉だけが普遍的な価値概念であると言っているわけです。常識から遥かに離れて単独で思考する毀誉褒貶の激しい吉本の真骨頂がこうした考察のなかにあります。しかし否定するにしろ肯定するにしろ、まずは正しく理解しなくてはならないわけです。理解するために自分のために解説をしていきます。