われわれは精神に無数の問ひを用意してゐるが、解答の方法はいつもただひとつだ。(断想Ⅲ)

解答の方法はいつもただひとつだというのは、おそらく「考えること」だということじゃないっでしょうか。考えることの深みに入れば人の行動はとまってしまう。ごろごろしてぼーっとしているようにしかはたからは見えないときに、ひとは考えに考えているかもしれない。またその考えに考えたことを言葉にしてあらわすかどうかはわからない。あらわすかもしれないし、あらわさないで胸にしまうかもしれないし、あらわしきれないかもしれない。だまっているときに、ひとは胸にいっぱいの想いや考えを抱いているかもしれない。こうした当たり前といえば当たり前のことを言語論や政治思想として吉本は徹底して考察しています。それはひとことでいうならば価値の考察です。歴史をぶっとおして原始未開から未来までつながっていく、世界中のどこでも原理的に通用する、普遍的な価値とは何か。そういう考察だと思います。

おまけです。
「わたしの戦争論」1999年    吉本隆明

埴谷雄高は「いや、それは違う」「物書きということでいえば、実際に腹を切ってみせなくてもいいんだ、未来を暗示できればいいんだ」という答え方をしました。物書きはクモの巣がかかったような屋根裏部屋で、ノンベンダラリンと寝ころびながらモノを考えていてもいいんだ、未来を示唆できたら、それは立派な「革命」になりうるんだというのが埴谷雄高の考え方でした。
そのときのやりとりを見て、三島由紀夫はやなり三島由紀夫だと思いましたが、埴谷雄高は「さすがだ」と思いました。僕は、埴谷雄高のいいぶんのほうが優れていると思います。