故に全き自由を得るためには、現実の人為的な歪みと必然的な歪みを除去する以外にはない。人為的歪みを除去せんとする者は革命家と呼ばれる。(形而上学ニツイテノNOTE)

この「形而上学ニツイテノNOTE」という章は初期ノートのうちでも格別にめんどくさいことが書かれていて、若い吉本の思考癖というか抽象癖というものを知るには格好の文章だと思います。ここで引用されている部分でも「自由」というものを吉本が自分の定義をした概念として使っています。それがまためんどくさくてよくわからないんですが、少しおつきあいいただいて私にわかる限りで解説してみます。
吉本は自由という概念を分析して、いくつかの層に分けていると思います。化学者が物質を解析するように。自由というものを行為の自由、なにをしても許されるという層で考えると、それは可能であるとは限らないわけです。なんで可能でないかというと、行為によってぶつかる現実が人為的にか必然的にか歪められているからだということになります。人為的な歪みというのは意識的な歪みのことで、人間が意識して作り出した現実の歪みです。必然的な歪みというのは無意識的な歪みのことで、それは人間が意識して作り出したものではなく、いつのまにかそうなってしまったというものです。革命家と呼ばれる人物が行うのは意識的な歪みだけで、無意識的な歪みを正すことは革命家の意図のなかにないということを吉本はいっています。
これくらいのことならまだわかりやすいんですが、めんどくさいのはさらに自由というものを分析していることです。それを全部書いてはいられないので一部を解説します。吉本は自由を現実的に規定するなら本能に帰着すると考えています。しかし現実的にではなく形而上学的にというか抽象的に自由を規定するならそれは「自己写像の任意性」に帰着するというわけです。自己写像というのは何かというと、人間の行為を人間自身が捉えなおすことだと思います。自分のやっていることを(こういうことをやっている)と自分のなかに写しだすことでしょう。それで人間の行為は無償であるというわけです。ここで無償とか有償というのはタダとか報酬があるという言葉の使い方とは違っています。無償というのはそれ自体で完結していることというか、ほかのことと関係をもったり結果をもったりしないことだと思います。ぽつんとしたことですね。有償というのは吉本の言葉では(集積作用をもつ)ことです。関係をもち展開しある結果をもつというようなことです。吉本は行為それじたいはぽつんとしたことだと言っています。行為の作用だけが集積作用をもつ、すなわち有償的だと考えています。ね、めんどくさいでしょう。
ここにはマルクスの疎外の概念が影響してるんだと思います。吉本がこういうふうにめんどくさく考えるのは、人間が現実にむかって心身の行動を起こす時に生じるものと、それ以前の人間自体の本質であるものとを区分して考えたいからだとわたしは思います。なぜならばそれが「詩」というものが生れて来る構造だからです。「詩」という文芸に深くかかわっている吉本は、「無償」ということにおおきい関心をもっています。それは人間の無意識のなかに秘められた原形質のようなものです。
ひととおり解説をしてしまうと、まず無償である「行為」があり、「行為」の作用だけが集積される。そして「行為」の「自己写像」だけが集積される。この「行為の自己写像」もやはり無償である。「無償の自己写像」を有償化するのは「自覚」である、と書いています。ああめんどくさい。
行為がぽつんとした人間の無意識から生起しただけの赤ん坊のような「無償」のものであるように「行為の自己写像」もぽつんとした無償のものだ。しかしその自己写像を他の自己写像と関係づけある意味をもたせていくのは「自覚」だということです。いわば「無償」というのは「価値」であり、「有償」というのは「意味」だと考えると少しわかりやすくなると思います。ならないか・・・。そして「自覚における自己写像」は任意的だと吉本は書いています。「人間の自由とは原理的に(つまり抽象的に)語られる限り、この自己写像の任意性ということに帰着する」というわけです。無償である自己写像、つまり自分の行為のイメージは自覚によって集積されて意味をもつんだけども、その自己写像は任意的、つまりどういう自己写像、自分のイメージが集まるのかはあらかじめ決められない、なりゆきまかせなものだということです。結局、人間の自由というものは、人間自身がコントロールするものではなく、自分の無意識から出てきたものが自分の外側にある現実とぶつかっていくそれ自体ではぽつんとした出来事を自覚したものからやってくるんだけども、それもまた任意なもの、面々のおはからいに属することであるというような意味になります。吉本が自分のありようを掘り下げていくにつれて、そこには自分の意思というものを超えたなにかに触れざるをえないという感じでしょうか。
このへんで勘弁していただいて、「母型論」の続きにいきたいと思います。最近、中沢新一の「吉本隆明の経済学」という本が出て、それについても触れてみたいのですが、寄り道ばかりしてもいけないので、もう少しですから「母型論」の解説の残りを片付けようと思います。
「母型論」の「起源論」では、日本の神話である「古事記」からアフリカ的段階の言語あるいは前言語と特徴を探るというモチーフで吉本は書いています。日本の神話の特徴は、第一に「天地の中心」という概念、また「独りでに生成すること」という概念自体が「神」に見立てられていることです。次にやや具象性をおびて、湿地帯に葦の芽が生えて育つ状態、または育った葦原の湿地が「神」に見立てられ、その葦の湿地帯のうえをおおってつづく天空が「神」に見立てられます。そういう葦の湿地帯が日本の古事記をうみだした初期王権のあった風土の特徴だったんでしょう。さらに国土あるいは国の土地という理念を「神」に見立て、空の雲がつづく野原(野原のような雲のひろがり)を「神」に見立てていきます。つまり初期王権の人々にとって「神」とは国家成立以前から存在するものであったわけです。国家ができるのは「アジア的段階」に入ってからですから、「神」はそれ以前の「アフリカ的段階」の特徴を備えているだろうと考えます。ここまで解説した「神々」は自然の中心の概念であったり、自然それ自体の広がりであったりしています。
さらに「神」の概念は展開します。「生成すること」が「神」であれば、性にかかわるという認識をあらわす神として一対の男女神が名づけられます。この一対の神々(4つのカップル)のなかに有名なイザナキ、イザナミの神がいるわけです。他の3つのカップルの神々の意味が不明なままなんですが、イザナキ、イザナミの神が日本列島の西南部の島々を生む記述が「古事記」に記載されています。たとえば淡路島を生み、四国を生み、隠岐の島を生みというように神の産み落としが続くわけです。
そして国々(島々)を産み落とすと、さらに自然現象と自然現象の具象的な部分を「神」として生み落すという記述になります。たとえば
岩石や地面は「岩土毘古(いわつちびこ)の神」、吹く風は「天の吹男(あめのふきを)の神」、海は「大綿津見(おおわたつみ)の神、というようにいっぱいあるわけですが、ありとあらゆる自然の事物、自然の現象は眼にふれるかぎりすべて「神」の名で名づけられていきます。要するに森羅万象が神であるわけです。そして神である森羅万象は「言葉」を話します。自然物が言葉を発するというのは、つまり自然音を言葉のように聴くということです。
古事記」の「祝詞(のりと)」という天孫降臨神話をめぐる箇所に自然現象が言葉を発するという記述があります。
「石(いわ)ね、木(こ)の立(たち)、青水沫(あおみなわ)も事問ひて荒ぶる国なり」(「古事記」の「出雲の国の造(みやつこ)の神賀詞(かむよごと)」より)
これは違っているかもしれませんが、私が思うには初期王権、つまり大和朝廷となる天皇の一族が支配権を確立し、土着の出雲の支配層を温存してそれを上から支配しようとした、その時の話だと思います。天皇からの監視役が土着の出雲の支配者の上にやってきて、土着の出雲の支配者が自分たちの土地について征服者である天皇一族からの監視役にうやうやしく説明しているということじゃないでしょうか。知識が少なくてよくわかりません。とにかくその出雲の国の説明のなかに「岩ね、木の立、青水沫も事問ひて荒ぶる国なり」という記述があります。これは「
岩も樹木も青い水の泡までもが物言い騒ぐ荒れ狂う国でございます」という意味です。つまり岩も樹木も水の泡立ちも言葉をしゃべるという認識を語っています。吉本がいうには、この認識が古事記にかろうじて保存されているアフリカ的段階の言語の特徴であり、そしてこの基本的な認識があったから、地勢や自然の現象に神名をつけて呼ぶやや後代の特性も生じなかったということです。つまり「古事記」に見られる神々の産み落とし、森羅万象を神とみなす特徴はそれ以前に自然音を言葉として聴くという段階から生じたということです。「この人間の言葉を自然現象の音と等価としてみるという認識が、初期神話の世界を覆う雰囲気だ」と吉本は述べています。蛇足ですが、こうした一文が吉本の文章の魅力なんですよ。一発で的を射ぬいているわけです。
そして日本神話の特徴の第一である「天地の中心」とか「独りでに生成すること」というような概念自体を「神」に見立てるということは、そうした「神」は「言語」自体だということだと吉本はいっていると思います。「言語」が「神」だと見立てられているということです。これは新約聖書の「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」という部分を思い出させます。すると吉本の「この言語認識の特性は、旧日本語の認識であるとともに、人類の言葉が一様に通り過ぎた特性だともいえるものだ」という文章と結びつきます。言語が民族語に分かれる以前の前言語という段階、アフリカ的段階の言語にさかのぼれば、自然現象が言葉をしゃべる、自然と言葉は一体だという認識の段階がある。これは人類が一様に通り過ぎた特性だとすれば、「古事記」にも「聖書」にもそれが保存されているのもありえることだということになりましょう。もっとも古い段階の特性である言語そのものを「神」と認識している段階から、つぎに自然を地勢と地理と山川草木のあらゆる部分、つまり森羅万象を神とみなす段階に移る。しかしもっとも古い段階の特性も消えるわけではなく、保存されている。
ここまでが「起源論」の日本神話からアフリカ的段階の特徴を探るというモチーフによる吉本の記述の解説です。さてここで、アフリカ的段階の日本ということになると、もうひとつの問題意識が生じるわけです。それは「アフリカ的段階の日本列島に日本人と呼ばれる人たちがどこからやってきたのか問題」です。以前に解説したようにこの「日本人はどこから来たのか問題」を歯やATLウイルスやGm遺伝子の分野から追求した学説を吉本は「起源論」で紹介しています。そして吉本は吉本で初期神話から推論される自らの「日本人はどこから来たか問題」を述べています。
吉本が述べるには、最古の言語自体が神だという概念からイザナキ、イザナギの神が登場するまでの神話の空間は、東南大陸の原郷のイメージと天空神聖のイメージの複合だということです。つまり東南アジアからその故郷のイメージを秘めながら渡ってきたということです。そしてイザナキ、イザナミの産み落とす日本列島の島々と、森羅万象を神と名づける記述までは、南方諸島の原郷空間と、そこから移住して土着してきた現在の日本列島の地勢や地形、共同体をあらわす現存空間の概念を複合したものと書いています。つまり東南アジアの大陸から離れ、東南アジアと日本列島の間にある島々を渡ってきた段階で、それもどのくらいか知らないけど長い長い時間でしょうよ、心に染みついたイメージがこめられているということです。そしてイザナキ、イザナミの二神の死と、天照(アマテラス)大神と須佐男(スサノヲ)の命をめぐる挿話は、もはや日本列島に土着してからの伝承や神話の空間概念をあらわすものと吉本は述べています。つまりもう日本列島に到着して以降のことだということです。そしてこの日本列島に土着してからの伝承や神話というものは出雲地方の主権者をもつ伝承や神話だったと述べています。つまりもともと日本列島に住んでいた原住の人々のもっていた伝承や神話がアマテラスとスサノヲの挿話までは影響しているということです。その後の記述になると、初期天皇群の始祖となる勢力と出雲地方の土着の勢力との争いと征服の記述になっていきます。それが初期天皇の降臨神話以降の神話の特徴だそうです。
ここまでは要するに、「古事記」の神話空間は東南アジア大陸からやってきた人々が、ポリネシアミクロネシアオセアニアといった東南アジアから日本列島にかけて渡る島々の神話空間を反映しているということです。東南アジアから島々をわたって日本列島に立たどり着いたということです。
ここまでのことと別に吉本の問題意識があります。それは日本列島の西南の地域(南九州)の海人系と日本神話が接触するのはどこかということです。なぜこの問題意識が生じるかというと、日本列島の南と北の辺境ではもっとも古い日本人の特徴があらわれるという問題意識からだと思います。そして古事記ではヒホコノニニギノミコトコノハナサクヤヒメとイハナガヒメの姉妹に出会う説話のところから日本神話が日本列島の西南の地域との接触をあらわにすると述べています。つまり、古事記が描いている日本は、最古の日本ではないわけです。古事記が描いている初期王権を作り出した連中がやってきた経路と、それ以前の土着の日本人とは何かという問題意識があるということです。それを古事記から探れるだけ探って、さあそれからどうするかということになります。まだ「母型論」の書物の探求は続きがあります。