僕が僕の欲することを実現し得ないといふことは全く客観的な条件にかかつてゐる。先づ抑圧は現実そのもののうちにあり、次に精神のうちにある。(断想Ⅳ)

これは吉本が敗戦後に出会ったマルクスの著作の影響があらわれているんだと思います。平凡で狭い生活圏での生活、つまりあなたや私の生活のなかでのいろいろな悩みや不安は、あなたや私の狭い生活圏のなかにのみ原因があるのではなく、広い社会の現実のなかにも原因があるという観点です。吉本は状況という言葉を「情況」という言葉で使いますが、それも個人の心と社会の現実とが関連しているという意味で使うのだと思います。本業である文学作品の批評も、作家個人に収斂していく面と、社会現実に収斂していく面とを同時に追求しています。その社会現実と個人の内面の関連をどう考えるかという問題意識で、吉本は当時の左翼系の文学者たちと激しく対立していきます。それはいいかえれば「政治と文学」の問題です。個人の心とその表現である文学が社会現実とのあるいは歴史として累積している社会構造との関連があることは認めても、それを短絡して文学を政治に奉仕するものとみなすような「政治と文学」観には吉本はがまんがならなかったのです。しかしでは、そのがまんがならない感覚をどう普遍化したらいいのか。それが吉本の自身に課した課題で、その成果が「言語にとって美とはなにか」に結晶した原理的な言語論でした。
吉本が個人の心と社会現実との関連を考察してきた蓄積が見事にあらわれている批評作品のひとつは、前にも解説したかもしれませんが「源実朝」だとわたしは思います。実朝についての正岡子規をはじめとする評価をくつがえす批評を吉本はやってのけています。そしてその評価の転回は。実朝の置かれた鎌倉時代の歴史現実の分析がなくては不可能でした。現在でもある犯罪があると、それに類似した作品が見つかればその影響を受けて犯罪を犯したのかもしれないから、作品を取り締まろうというようなくだらない意見がいっぱいあります。吉本の思想はそうした連中をはるかに超えるところに孤独にそびえたっているわけです。
そんなところで「母型論」の解説に移ります。「起源論」の最後のところをやってしまいたいわけです。現在ただ今の生活が私たちにとって最大の問題であるわけですが、その現在ただ今の生活をどうするかは近未来がどうなるのかと、もっと先の未来をどこまで見通せるかということが決めていくわけでしょう。先がまったく見えないなら、これも吉本の文章のなかにあったんですが、「この秋は雨かあらしかしらねども今日のつとめに田草とるなり」という田吾作と同じことになっちゃうわけです。その未来の読み切りという課題が同時に過去の探求という課題と重なるということが吉本の思想の要点です。そこで「母型論」も書かれたわけですが、「起源論」のテーマは「日本のアフリカ的段階はどうなっていたか」問題です。アフリカ的段階は国家の成立以前の段階であり、文字も成立する以前の言葉の段階です。だから文字が成立した最古の文献は「古事記」と「日本書紀」であって、そこではすでに初期国家も成立しているわけですが、ここからそれ以前の歴史段階を探るという方法しか文献的な探索はできないわけです。それ以外の方法は土器だとか歯だとかウイルスとか遺伝子から過去を探るという方法です。だから吉本も「記紀」や歯やウイルスなどの科学者の探索を手掛かりに考察していきます。するとどうやら日本列島のアフリカ的段階には2種類の日本人が考えられるということになります。最初に住んでいたか、あるいはどこからかやってきた先住民がいて、次にどこからかやってきた種族があらわれる。そのふたつの日本人がぶつかったり融合したりする歴史がアフリカ的段階の日本にあったということです。それが日本というもののわからなさ、複雑さの根源にあります。
最古ということでは先住の日本人がどこから来て、どのような言葉を話し、どのような心をもっていたのかという問題意識が重要になります。前回解説したことなので繰り返してもしょうがないわけですが、吉本が「古事記」などの最古の文献から想像する先住日本人、あるいは旧日本人のやってきた経路は東南アジア大陸から、島々をわたって日本列島にたどり着いた人々です。その想像は、歯やウイルスや遺伝子の研究から吉本と同様に「日本人はどこから来たか」問題を探求した科学者たちの見解と一致したり背反したりしています。そこは以前に解説したので繰り返しませんが、とにかく先住の旧日本人とそれ以降にやってきた人々がいるということは認めていいんじゃないかという結論です。すると最古ということでは先住の日本人が問題になります。先住の(どこからかやってきた)日本人の痕跡をどう探ればいいいいのかということになるでしょう。その痕跡は後からやってきた、しかも米作と鉄という当時の最先端の技術をたづさえてやってきた連中です。しかもくわしいことは分からないながら、その新日本人のなかに旧日本人である先住民を屈服させ支配権を確立した日本列島の初期国家を作ったやつらがいたことになります。先住民である旧日本人は征服され、支配されたわけですが、先住民の日本人のもっていた文化や言語は征服者である初期王権の新日本人の文化や言語と溶け合っていくことになります。消え去りはしないわけです。それが出雲の国の出雲大社にかかわる伝説になっているわけでしょう。征服した初期国家の天皇群は、支配下においた原住民である出雲の一族を全滅させたわけでなく、その文化や言語を保存したままその上から支配したということです。
すると、最古の文献である「記紀」などからも先住民の文化や言語は探られるかもしれないということになりましょう。そして、その先住民の風俗習慣や言語が色濃く残っているところは日本列島の端っこだということになります。なぜなら端っこには新日本人の影響や支配や融合が少ないだろうと考えられるからです。その端っこは日本列島の西南と琉球沖縄、そして日本列島の東北、北海道です。最古の文献である「古事記」に日本の西南(南九州)との接触を描いている箇所があります。それは初期天皇群の征服のひろがりが日本列島の端っこにまで届いたということを意味すると思います。これは現在でも問題としてあるわけで、日本列島の端っこにある地域には日本というものの最古の痕跡が残っている宝庫なんだという観点です。そこからいわば本土である日本列島のまんなかにある現在に至る支配体制をくつがえす最古の過去性、それは同時に未来の読み切りの問題が潜んでいるという見解になります。
おわかりになりましょうか。解説が下手なんでわかりにくいかもしれませんが、要するにアフリカ的段階の日本列島に最初にどこからかやってきた、それは吉本の想像では東南アジア大陸から島々を経巡ってやってきたということですが、その旧日本人の痕跡は西南あるいは東北の日本に残っているということです。まずそうした旧日本人であるアフリカ的段階の日本人の特徴は「母系制」ということにあると考えます。その母系制の特徴を日本神話に探してみると、前にも解説しましたがそれは兄弟姉妹の一対が種族の始祖であるという神話と、しかもその兄弟姉妹が性交して子孫をひろげることを知らなかった、知らないから鳥とか虫とかの性交を見てそのとおりにやってみたら子ができたというような神話の特徴になります。兄弟姉妹がたとえば兄と妹がカップルになって性交して種族の始祖になったという神話は、母系制の社会で血のつながった親族のきずなが強く、他の氏族に属する夫がいたとしてもそれよりも親族のきずなが尊重されるということを象徴しています。つまり血のつながりしか人間関係のなかった氏族制の段階の痕跡です。また性交のしかたを鳥や虫の交尾から真似たというのは、性交が妊娠とつながることを知らない未開時代の痕跡です。だからこれらの痕跡が残る神話は、最古の日本人のありようを伝えているとみなされます。そしてそれは日本列島の西南、あるいは琉球沖縄と接触した日本神話に描かれているわけです。
次に「古事記」では性交した兄弟姉妹による「国生み」の神話になります。イザナキとイザナミが「天の沼矛(ぬぼこ)」で海の塩水をかきまわして引きあげて、その矛の先から滴り落ちる塩がつもって島ができます。そうして淡路島を作り、四国を作り、日本列島の西南部の島々を作っていきます。要はこうした神話の特徴は大林太良などの研究によると東名アジアから日本列島にわたる島々の神話につながっているということです。どうしても日本神話から読み込むと東南アジアから島々をわたって日本列島にたどり着いた人々が旧日本人で、その痕跡が西南や東北の地域に残っているということになります。
古事記」は前回も解説したように「国生み」の次に自然現象をことごとく神として名づける記述に移ります。この特徴までが、日本列島の島嶼や海辺の場所に残る未開や原始つまりアフリカ的段階にあった日本の特徴だということです。それはまた母系制であった時代の名残でもあります。この段階を言語に関して探求するという問題が「起源論」の最後になります。そこまで書きたかったのですが、ぐたぐだと説明したためにたどり着きませんでした。すいません。また次回でシロクロつけます。