打ち砕かれた方法的な体系を組立てるに際し、僕らは常に意識的な悲しみを必要とするものである。(方法的制覇)

具体的にいえば、打ち砕かれた方法的な体系というのは軍国主義イデオロギーということになると思います。吉本が戦中に信じた日本帝国のイデオロギーが敗戦によって打ち砕かれたということです。それを組み立てるというのは、戦後の社会でもう一度自分が信じられる思想を作るということです。ではそのために意識的な悲しみを必要とするというのはどういうことか。それは方法的な体系、つまり思想というものに自分の体験や喜怒哀楽や思い出といった内面性がこめられているからです。またこめるように思想を作ってきたからです。
戦後に軍部にだまされていたんだとか、アメリカのもたらした民主主義はすばらしいとか言って、古い上着を脱ぎ捨てるように戦時中のイデオロギーを脱ぎ捨てた人たちがたくさんいたのでしょう。それは思想とか知というものが借り物だから脱ぎ捨てやすかったということです。そして脱ぎ捨てるには戦時中のイデオロギーが肉体に貼りついて剥がれないといった人たちは、戦時中のイデオロギーをひそかに隠しもったまま、復讐心をもって戦後を生きたと思います。中曽根や安倍首相もそういうタイプの人物だと思います。しかし、古い上着を脱ぎ捨てるように過去に信じた思想を捨てることもできず、過去の思想を、もし戦争に勝っていればとか、戦後にもたらされた思想はすべて虚妄だというように考えることもできなかった少数の人々はどうすればよかったのか。それは過去の思想にこめた内面性をすべて掘りおこしながら新しい思想の形成に向かうしかないわけです。それが吉本の戦後だったと思います。だから意識的な悲しみを必要とするというふうに書いたのだと思います。たとえば天皇に対する戦時中の信仰心とか、戦争死を遂げた同世代の人々への想いといったものに心の蓋をせずに、そのなかにこめられた自分の内面性を根底から意識して新しい思想のなかに組み込んでいくという道になると思います。吉本にとってそれが「共同幻想論」や「戦争責任論」となっていくわけです。
そんなところで「母型論」の解説のほうに移らせていただきます。「母型論」で解説しきれていない残りは「起源論」「脱音現象論」「原了解論」です。「起源論」というのは日本の起源ということで、日本の未開原始の時代、吉本の概念では「アフリカ的段階」にあたる時代のイメージを作るというテーマです。そのテーマに吉本は言語の問題から切り込んでいくわけですが、「脱音現象論」と「原了解論」は「起源論」で基本線をひいた言語の問題をさらに詳細に追及したという意味をもっています。
「起源論」をおおざっぱに概説してみます。「アフリカ的段階」に切り込むために乳幼児の言語の問題と関連させることから「起源論」は始まります。吉本はローマン・ヤコブソンというロシアの言語学者の研究を下敷きにして考察しています。このへんは以前に解説したと思います。乳幼児が言語を獲得する1歳近くまでの時期には、まず喃語(なんご)の時期があります。これは「あわわ言葉」の時期といってもいいわけです。母親の「あばば」とか「あっぷっぷ」といった意味をなさない言葉の語りかけに、乳幼児が反応し笑ったり、自分も同じように音声を発したりする時期になります。その「あわわ言葉」のコミュニケーションは、すでに胎児期の後期に乳幼児と母親とのあいだに「内コミュニケーション」が成り立っているから可能なのだと吉本は考えます。次に母音の体系が作られる時期に移っていくわけです。その最初の段階は3母音の時期であり、3母音が母音の体系が作られるもっとも古い段階だと考えています。そこから5母音とか7母音というように複雑化していきます。吉本はこうした乳幼児の言語の発達段階を「アフリカ的段階」の未開の人々の言語の状態を関連づけて、歴史の起源の状態を考察したいわけです。
吉本が追求してきた日本語の起源の問題と関連する問題で、以前にも解説しましたが、各地域の種族や民族の違いによって、言語の発達段階が違うのはなぜかということがあるわけです。そのことを日本におけるアフリカ的段階の言語はどういうものかという問題につなげていきます。そして言語の発達段階の古い段階の特質が、日本語の古層のなかに保存されているのではないかという問題意識になります。これには角田忠信の「日本人の脳」の研究が参考にされているわけです。
もうひとつ重要な観点として、これも解説してきましたが言語の生成の根源的な偶然性という問題があります。これはソシュール言語学説とも関連しています。
こうした考察の積み重ねをしてから、具体的に日本の言語の古層にあるものを取り上げていきます。「古事記」や「日本書紀」とか、琉球の「おもろそうし」などを具体的に分析して日本語の起源に迫ろうとするわけです。
するとここで問題になるのは、そもそも日本列島に日本人はどのように棲みついたのかという問題になります。「日本人はどこから来たか」問題となるわけです。そして起源の日本人が言語を獲得するときにもっとも古層のものはどのような言語だっただろうか、という問題意識となります。
「日本人はどこから来たか」問題として、吉本は言語とは異なる観点から追求された考察を取り上げています。ひとつめはC・G・ターナーという学者の「歯が語るアジア民族の移動」という論文です。ふたつめは日沼頼夫というウイルス学者の「新ウイルス物語」という著作に述べられた研究です。もうひとつ、松本秀雄という医学者のGm遺伝子の研究にもとづく「日本人はどこから来たか」の考察です。それぞれが「日本人はどこから来たか」問題について、ターナーは歯から、日沼はATLウイルスから、松本はGm遺伝子から切り込んでいるわけですが、興味深いことに共通する認識として、日本列島にやってきた人々は旧日本人と新日本人の二層に分かれるということで一致していることです。いっぽうでこのそれぞれの研究者の考察が大きく異なっていくところもあります。
おおざっぱな「起源論」の概説を完結させれば、こうした二層に分かれた起源の日本人のうちより古層にある旧日本人のイメージを吉本は作りたいのだと思います。そのために吉本が追求したのは琉球語と東北語の共通性ということです。なぜ琉球沖縄の言語と、東北アイヌの言語が共通するのか。それは日本列島に移住してきたより古い旧日本人の特性が新日本人の影響を受けずに保存されている地域が南と北の果ての琉球と東北であるということです。あるいは東北より北の北海道だということになります。もうひとつ観点があると思います。それは吉本が柳田国男の思想を追求した「柳田国男論」に書かれていることですが、海を渡るという船の航路は陸上の徒歩の距離とは異質なものだということです。陸上をいけば途方もない距離があるところへも、船で風と海流に乗っていけば近距離だということもありうるという観点です。そこから琉球と東北・北海道との交通という観点も生まれるのだと思います。
旧日本人、あるいは旧日本語とは何か。そこにある精神性、内面性とは何か。それを追求することで、起源の日本人の特性をイメージとして獲得する。その起源性がこれからの日本の未来についてなにごとかを示唆する。それが吉本の構想だと思います。
さきほど解説した3人の研究者の学説を少し解説してみます。ターナーは歯、歯列の研究から、まずターナーの研究の対象である現代型人類というものの起源は約5万年前にアフリカからやってきたと考えています。その人々は太古に東南アジアの大陸と島々の架け橋となっていた「スンダ大陸棚」というものがあり、そのスンダ大陸棚を渡って遥かアフリカから現代型人類が何万年もかけてさまざまな地域に移動していった。そして約1万2千年前にスンダ大陸棚は海底に沈み、インドネシア列島と日本列島、東南アジアの島々だけが残った。この大陸棚の沈没の前に大陸棚の海岸線を伝って日本列島にきた人々がいて、それが旧日本人であり、縄文人だということです。
では新日本人はどこから来たのかというと、スンダ大陸棚を伝って北方に移動したり内陸部を移動して北方に移動した太古の人々がいた。その内陸部経由の集団が北東アジア人となり、そのなかから「中国型歯列」が生じた。これは寒冷地に適応した歯列の特徴だそうです。この日本列島まで来ている「スンダ型」と北方の「中国型」の歯列がターナーの追求したふたつの系統です。
まとめるとターナーは約1万7千年まえに「スンダ型歯列」の人種が日本列島に移動してきた。その後に約2千年前の弥生時代に「中国型歯列」の人種が移動してきて、旧日本人と混血した。琉球沖縄やアイヌ人には「スンダ型歯列」の要素が多く残っている。それは南北の果てで混血が少なかったためだ。それがターナーの学説です。
日沼頼夫のATLウイルスによる研究によると、ATLウイルスというのは成人T細胞白血病ウイルスのキャリアとB型肝炎ウイルス(HBウイルス)のキャリア(キャリアというのは病原性のあるウイルスを体内に持っていながら発症しないで健康でいる人をいいます、キャリアというのは運ぶ人という意味です)人々を研究して「日本人はどこから来たか」問題に切り込んでいます。その結論は、ATLウイルスのキャリアが日本の先住民つまり旧日本人だろうということです。それは古モンゴロイドであり、ウルム氷河期に中央アジアから東進して東北アジアにいたり、その一部は日本列島にいたったと日沼は考えています。これに対して弥生時代、あるいは縄文時代の末期に新たにモンゴロイドが大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て北九州に上陸し、山陽道を経て大和(近畿地方)に至った。この人たちはATLウイルスを保有していない。そして稲と鉄という当時のハイテクノロジーをもっていた。これが新日本人だということです。そして新日本人と旧日本人の混血が少なく、旧日本人の特徴が残っているのは北海道と沖縄だと日沼は考察しています。HBウイルスのキャリアとの関連からも日本列島に移住してきた人々が旧と新のふたつの層に分かれることが結論づけられると日沼は述べています。
ターナーと日沼の学説には共通点もありますが、その移動の経路については矛盾もあります。しかしおおざっぱに松本秀雄の主張に移ります。
松本はGm遺伝子の研究からターナーや日沼とは大きく異なる結論に至ります。日本人が二層に分かれるという点は共通点です。しかし松本は旧日本人はターナーや日沼と異なり北方から来た人種だといっているわけです。それはアイヌ人や沖縄人に残されている人種の特徴は北方系だということになります。旧日本人は南方の大陸棚や内陸の沿岸部を渡ってきたのか、それとも北方のアジアからやってきたのか、まったく違う研究がなされているということです。
しかしいずれにせよ、日本列島に移住してきた日本人は二層に分かれるらしい。では旧日本人、あるいは先住の日本人、あるいは縄文人、あるいは沖縄やアイヌのイメージをどうとらえたらいいのかという問題意識が生じるでしょう。
どこから来たのかはまだ確定できないとしても、日本列島に最初に移住してきた人々がいたということで考えてみます。そこから吉本の言語による考察が始まります。乳幼児期の「あわわ言葉」の時期、そして日本列島の先住民のなかにあるもの、それはその「アフリカ的段階」の人々が言語の音声と自然音とをどのように捉えていたかという問題意識になります。「樹木や草が風にそよぐ音、動物や虫の鳴き声、海や河川や滝の水の流れや落下の音、岩や小石が風や水の流れにつれて響く音(「母型論」より)そういう自然音と初めて音声として喉から発せられ始めた声とはどうなっていたのか。ここから知識というより自分自身の乳幼児期の記憶を呼び戻したり、太古の時代への想像力をかきたてたりしてイメージとしてつかまなくてはならない、あるいはつかむしなかい問題が浮上してきます。この問題を遥かな太古への郷愁やロマンみたいなことではなく、今も私たちのなかに眠っている精神の起源性であると考えるならば、新しい歴史段階への移行期であるだろう現在のいちばん先端的な問題でもあるとみなすことができます。やっと「母型論」のいちばん面白いところにやってきたわけすよ。ズブリと自分のなかにある起源のくらやみというものに、太古と未来の双方に同時に光を差し込ませるなにかがあるわけです。アンタもいっしょにそこのところを考えてみてください。これはアタマがいいとか、知識があるとかとは別の領域です。あんたや私の平凡な人生の深いところに眠っているものをつかまえられるかどうかという、そういう領域だと思います。