いまにしておもえば、深川区(現在の江東区深川)にあつた私塾の無名の教師は、そのような「性」的な駘蕩と禁欲的な勉学との均衡についても、たくみにわたしを方向づける教師であつたようにおもわれる。そして、それは「書く」ということについてわたしの直接の教師であつたことを意味している。(過去についての自註)

この私塾は吉本が自らの「黄金時代」と呼んでいる少年期から青年期の初葉までの時期に通った私塾で、そこの教師が吉本に多大な影響を与えました。そのことは何度か解説したと思いますので同じことを繰り返してもしょうがないですが、なにが多大な影響を与えたかというとこの今氏さんという人が胸に秘している「生活の放棄」という思想だったと思います。それと似たことを詩人の鮎川信夫の軍隊時代の体験について吉本の書いた文章のなかに読んだことがあります。鮎川信夫は陸軍に入隊し、戦争死した戦友を埋葬する体験をしています。

埋葬の日は、言葉もなく
    立会う者もなかった、
    憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
    空にむかって眼をあげ
    きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
    「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
    Mよ、地下に眠るMよ、
    きみの胸の傷口は今でもまだ傷むか。  
                鮎川信夫「死んだ男」『鮎川信夫全詩集』

この「死んだ男」という詩の一節はその体験がもとになっています。この鮎川の体験を吉本は、こうした経験をしたらもはやにんげんとしてはすることはないのだ、という言葉で書いていたと思います。この体験は鮎川信夫の戦争経験の核心であり、鮎川はこの経験を思想とするなかでなにかを棄てたということです。生きながら生を放棄するとはなにか、それは確かな言葉でいってもしかたがない、と吉本はどこかで書いていました。でもそういうことはあるでしょう。心臓をえぐりとってしまうような経験があり、それをなんども反芻するなかで、その経験を超えることが生活をどう築くかという問題よりも重たくなる、ということは吉本や鮎川や今氏だけではなく、誰にでもありうることだと思います。それでも死なないかぎり生きていくわけですから、なにかをして金を稼いで、家族を作ることもあるんだと思いますが、それでもこころの奥では心臓をえぐり取られたような経験がうずいて、それを超えることしかほんとうに真剣になれることはない、というようなことです。あなたどうですか、そのへんは?そういうことがありうるということに気がついたということが吉本の私塾教師との出会いの意味だったようです。
では今年最後の「母型論」の解説に移ります。年の終わりで区切りよく「母型論」解説も終わらせたいのですが、無理かもしれませんね。解説の残りは「脱音現象論」と「原了解論」です。どちらも「試行」の「心的現象論・本論」のなかにあるもので、ふたつはつながっている論考です。まず大きくおおざっぱにとらえると、このふたつの論文は日本のアフリカ的段階の言語の特徴を探求するものです。今まで解説してきたように日本のアフリカ的段階の痕跡は、日本列島の北と南の端に、東北・北海道と九州・沖縄に色濃く残っているわけです。なぜかといえば、アフリカ的段階の旧日本人のあとに新日本人がどこからか列島にやってきて、旧日本人の文化、習俗、言語と融合したからです。その融合の影響が少ないのが列島の南北だということになります。だから、アフリカ的段階の言語の痕跡も北と南の端に痕跡を探ることができるだろうということになります。
前回で「起源論」の最後のほうに北と南の両端の言語の類似性についての部分を解説しました。それともつながる形になるわけですがまず「脱音現象論」から解説してみます。東北の言葉、あるいは東北の方言と、なぜか琉球諸島の言葉、方言が古い時代を掘っていくと共通するものがあるように思える、というのが吉本のもっている仮説です。それはともにアフリカ的段階の種族の言語だったからだということです。「脱音現象論」はまず琉球諸島と東北の言語の共通する例をあげていきます。たとえば租内(ソナイ)とか樽舞(タルマイ)という与那国島の地名は、秋田県の惣内(ソーナイ)とか樽見内(タルミナイ)という地名と共通性をもっているということです。これらの地名はアイヌ語とみなされていて、それがなぜか沖縄諸島の古い言葉にもあるのだということです。地名でなくとも東北語では「こばた(凧)」が西南語では「(こ)はた」であったり、東北語の「きびちょ(急須)」が西南語の「きびしょ」であったりという共通性は多く見いだされるそうです。
以上の言葉自体が似ているという共通性だけでなく、ほかの共通性も見出せます。それは「語音の変位(倒位)」の共通性です。これはどういうことかというと、たとえば標準語では「おいで(来なさい)」ということを東北語では「おでい」と倒立させていうそうですが、これと同じに標準語では「なみだ」ということを西南語では「みなだ」と倒位させていう。吉本の父親の故郷は熊本県天草ですが、吉本自身にも言葉の倒位癖があり「有頂天」を「有天頂」といって笑われたという経験を述べています。言葉をさかさまに言ってしまうというのが日本列島の北と南の端に残る共通性だということです。
さらにほかの共通性もあります。それが論考のタイトルにもなっている「脱音化」です。「脱音化」という言葉は吉本の造語です。脱音化とは語音が語頭や語中で、短音化したり、縮退したり、脱落したりする現象です。短音化、縮退化、無音化することで、元の語に比べて語音の縮退を感じさせる現象だとも吉本は述べています。吉本はたくさんの例をあげていますが、いくつかの東北語の脱音化の例をあげます。標準語では「いぬのこ(犬の子)」というのを東北語では「えんこ」と言います。「おおきい(大きい)」は「おき」、「ありました」は「おりした」、「かきまわす」は「かます」、「どこさ」は「どさ」、「おもたい(重たい)」は「もだい」というように言うそうです。吉本はこの脱音化に法則性をみつけようとして分析していますが、悪いけどそこは飛ばします。興味のある方は本文を読んでください。とにかく東北語では標準語のなかの母音や子音が脱落して短くなっている(縮退している)ということです。
東北語には短音化と逆に標準語より長くなる言い回しもみられます。たとえば標準語の「しゃべる(喋言る)」は東北語では「かっちゃべる」です。「いくぢなし(意気地なし)」は「おんづくなし」で、「ける(蹴る)」は「けっぽる」になります。
これらは反短音化ともいえるわけですが、吉本はこれもまた短音化のバリエーションととらえているようです。そして吉本が短音化の現象のうちもっとも興味深いと述べているのが「語頭の短音化と等価とみられるN音化」です。(このNにはNの両サイドに棒が引いてあります。これはワープロで出せないので、Nと書いたら両サイドに棒が引かれている表記だと思ってください)N音というのは要するに「ん」の音です。吉本は「ん」の音に大きな興味をもっているわけです。N音化の例をあげますと、標準語では「ゆけ」というのを東北語では「んげ」という。「おまえ」は「んさ」、「(いやだ)(そうだ)」は「んだ」、「(の、もの)は「んな」というそうです。「んだ」は知っているでしょう。「そうだよ」というのを「んだ」というやつです。もうこれ以上短音化できない、縮退できないところで「ん」が語頭にやってくるようにみえます。「ん」を取ってしまうと「げ」とか「さ」だけで語としての意味がなくなってしまうからです。
ここまでは標準語と東北語を比較してきたわけですが、同じような例は西南語にもあるようです。たとえば標準語の「むかで(百足)」は、西南語では「んかで」になります。西南語には標準語で「かぜ(風)」を「かで」という語がありますが、もし「んかで」の「ん」を脱落させたら「百足」と「風」の言い方が同じになるので「ん」を残したと考えられます。同様に標準語の「いばり(尿)」は西南語では「んばい」、標準語の「まんなが(真中)」は「んなが」になっています。
さてここで吉本のさらなる詳細な分析を飛ばさせてもらいますが、吉本はこのN音(ん)を「a・i・u・e・oのような母音要素よりもさらに母原的」なもの」と考えています。
吉本はなにをしようとしているか。それはアフリカ的段階の言葉を掘り出そうとしているわけです。標準語が西南語、あるいは東北語となると短音化、脱音化、縮退化しているというのは、標準語である本土の言語がしだいに日本列島の端に広がる過程でなまりとなっていった、というように考えているわけではありません。それとは時間軸を逆にとって、西南語や東北語の基層にアフリカ的段階の言語が残っていて、そこに本土の言語があとからやってきて覆いかぶさっていった過程で短音化、脱音化、縮退化がおこったとみなしています。
これは「万葉集」のような本土の歌謡と琉球沖縄の歌謡を比較する場合でも同様です。琉球沖縄に残る歌謡のなかにもっとも古い日本語の痕跡があり、それが時間的に変化していった過程で「万葉集」のような歌謡が作られたとみなしています。つまり旧日本語があると想定しているんだけど、その言葉は書き言葉で記載される以前の言語なわけです。だから直接書物にその言語を見出すことはできないのです。そこで古い時代の書き言葉で残っている書物や、方言として残っている古いしゃべり言葉から旧日本語はどういう言語だったか見つけ出そうとしています。それが吉本が苦闘しているところです。
短音化、脱音化、縮退化というのも旧日本語を探すために考察されています。短音化や脱音化するのはなぜか。それは旧日本語である三母音の言語に、新日本語であり本土の言語である五母音(あるいは八母音)の言語があとからやってきて覆いかぶさって、その過程で旧日本語に起こった変化だととらえていると思います。脱音化(短音化、縮退化を含めて)が意味するものが三母音の旧日本語なら、脱音化の極みで現れるN音(「ん」の音)は、時間軸を逆にたどって三母音の以前にあるさらに母源的な言語ではないかと吉本は考えているわけです。
「母型論」のなかに「語母論」という考察があり、そこでもN音について述べられています。またアフリカ的段階の旧日本語の特徴と吉本がみなしているものはまだ他にあります。しかし長くなりすぎたので、今回の解説はここで終わりとします。続きはまた来年。みなさまよいお年をお送りください。