現実を発見すること。救ひようもない程昇華した観念から下りてゆかねばならない。困難で忍耐の要ることだが、僕はそれにより思考の鍛化を遂行することになる。(〈少年と少女へのノート〉)

観念から現実に降りていくということが痛切に必要とされるということは、現実の変化が観念を崩壊させていることに気づくからでしょう。吉本は常に現実の事象から、これまでの観念ではとられきれないものに気づき、それを解明するために自分自身の観念崩壊のドラマを生き、それを読めば辿れるように表現してきました。現実の事象が、つまり私たちの人生と暮らしている社会の実体が吉本にとって最重要のことがらだったからだと思います。

おまけです
「日本語のゆくえ」(2008 光文社)の「若い詩人たちの詩」より 吉本隆明

結論めいたことをいえば、神話としての現代詩、あるいは神話としての若い人たちの詩ということを考えることはまず不可能だ、そんなことは考えられないぞと思いました。だいたい「無」だよ、ここには何もないよ、というのは何かの兆候だと思いますけれど、そういう兆候だけは非常にはっきりとうかがえた。そういう意味では、これはとても重要な兆候なんだなというふうに解釈しています。