僕は沢山の書物の中から師を見付け出す。だがこの師は問ふただけのことについて応へてくれるだけだ。山彦のやうに。並外れた応へとしてくれることを期待することも出来ない。僕が並外れた問ひを用意してゐない限り。それからひとりでに教へてくれることもない。僕が憂ひに沈みきつてゐるとき。何故なら僕はそんな時、書物に向ふこともしないで大方は夜の街々を歩いてゐたから見慣れない家々の灯り。それは唯の灯りであつた。僕が様々の意味をつけようとしてもそれは唯の灯りであつた。結局地上に存在するすべてのものは僕のために存在するのではなか

これは吉本のなかの孤独さが作られていく道筋を自分で説明しているわけでしょう。書物の著者というものとの一体感から引きはがされて自分という個になっていくこと。町の灯りというような地域社会とか庶民の町の光景から引きはがされて個として分離されていくこと。そして可哀そうな僕というような貧弱な無力な個としての若い吉本だけが残される。それは自分の主観と別個に存在する他の人間や他の人間が形成している、また形成してきた蓄積としての社会への目覚めです。たとえば「町の灯りがとてもきれいねヨコハマ
という歌が昔流行りましたが、今の私たちの心境なら、その灯りは電力会社が供給しているもので、電力会社は原子力発電所をもち、電気料金を独占的に支配し、その巨大な収益をばらまくことで政治家、メディア、学者を支配して原発を推進してきたし、その背景にはアメリカやヨーロッパの金融資本による日本支配の構図があるというような味気のない不愉快な社会の問題が心に浮かんできます。すると町の灯りがとてもきれいねというような風景との一体感は消えてしまい、この占有され確立された社会に対してひとりきりで考えている個としての味気のない自分が残されることになる。つまり抒情とか情緒とかいうものから切り離されて認識とか論理とか情報というような頭の使い方に移るわけです。それでいいんだという人は大勢いるでしょう。それが大人になることであり、たまにカラオケで抑圧していた情緒や詠嘆を発散して、またシラフに戻って認識や論理の世界に戻る、それでいいと。しかしそうした味気のない残酷で逃げ場のないこの社会の怖ろしい仕組みを知ってしまっても、それでも「歌」の世界、情緒や抒情というものに固執する世界を捨てられない人、文学や芸術が血肉に食い込んだ人、そういう資質の人もいるわけです。そうした人はどう生きるのでしょうか。それは吉本自身の問題でもあったわけです。戦争のような残忍な社会体験や冷徹な社会認識を個として単独で背負わなければならない人生を、資質としての歌はどう生き抜くのか。
私が思い出すのは吉本の「源実朝」という論考です。実朝は鎌倉時代の有名な歌人です。父親が平家を倒して鎌倉幕府を作った源頼朝です。頼朝は初代征夷大将軍に任じられるわけです。二代目の征夷大将軍は実朝の兄の頼家です。しかし頼家は伊豆に追放されやがて暗殺されます。頼家を追放し暗殺したのは頼朝の妻であった北条政子の実家である北条氏です。そして実朝は12歳の若さで三代目の征夷大将軍になるのですが、鎌倉幕府の実権は執権という役職におさまった北条氏が握っていきます。そして実朝は右大臣という高位について武士階級の位上の最高位を極めます。しかしその翌年、満年齢なら26歳の時に鶴岡八幡宮で頼家の子の公暁に暗殺されます。そして源氏が将軍になる血統はそこで絶える。まあどこまで真実か知りませんがこれが定説となっていると思います。
この残酷で親兄弟が殺しあう権力者の世界で実朝は育ち、実権のない形式だけの将軍に祭り上げられた日々を過ごしていくわけです。自分もまた兄のようにいつ追放されたり暗殺されたりするかわからないという怖ろしいそして虚しい人生です。いっぽうで実朝は金槐和歌集に収められた優れた歌を詠む歌人でした。詳しくは吉本の「源実朝」を読んでいただくことにして、わたしが初めて吉本の「源実朝」を読んでびっくりした部分を紹介したいと思います。実朝は自分が置かれている世界がどのような怖ろしい世界かを認識できないような幼稚な人間ではなかった。知力と学力に秀でた人物で嫌というほど自分の客観的なあり方を知っていて、なおかつ歌を作った。
たとえば
 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ
 大海の磯もとゞろによする波われてくだけて裂けて散るかも
 ものゝふの矢並つくろふ籠手の上に霰(あられ)たばしる那須の篠原
こういった歌は有名で知っている人は多いと思います。理屈抜きにこれはすごい傑作だなと思うでしょうあなたも。全然思わない?そういう人はしょうがないから恵比須駅のほうの喫茶店にでも行って時間をつぶしてください。
実朝が大好きでしょうがなかった人の一人に正岡子規がいます。子規の「歌よみに与ふる書」のなかに情熱的な実朝の絶賛が書かれています。私はそれを読んで子規と同じように実朝の歌を読んでいました。たとえばもののふの、という歌は万葉調の勇壮な力強い歌とみなされています。しかし吉本はまったく異なった批評をおそらく日本で初めて実朝の短歌に対して行ったのです。もののふの、というような歌はけして万葉調の力強い、武士の魂を歌った歌ではない。そこにはなげやりなただ目の前の光景を事実として描くしかない心があるのだ。それは吉本は子規や多くの評者が作った定説とはまったく違った見識を提出したということです。これには心からびっくりしました。え?!と思って吉本の論考を土台にして実朝の歌を読んでみると確かに今までの印象とは異なったものが見えてきました。批評というのは怖ろしいなとつくづく思ったことを覚えています。
実朝がおみこしとして将軍職にいた鎌倉幕府の怖ろしい権力の世界があり、実朝はその世界の認識をしみこませた意識の上で歌を作った。その歌は事実を叙する歌としかいいようのない虚無的な歌であった。それが現実の残忍さ、非情さ、冷たさを見つめるしかなかった実朝の作るしかなかった必然の歌の世界だった。そうした吉本の冷徹な批評のもとになっているものとして、この初期ノートの「それは唯の灯りであつた。僕が様々の意味をつけようとしてもそれは唯の灯りであつた」という文章を読むこともできると思います。