2011-09-10から1日間の記事一覧

僕は沢山の書物の中から師を見付け出す。だがこの師は問ふただけのことについて応へてくれるだけだ。山彦のやうに。並外れた応へとしてくれることを期待することも出来ない。僕が並外れた問ひを用意してゐない限り。それからひとりでに教へてくれることもない。僕が憂ひに沈みきつてゐるとき。何故なら僕はそんな時、書物に向ふこともしないで大方は夜の街々を歩いてゐたから見慣れない家々の灯り。それは唯の灯りであつた。僕が様々の意味をつけようとしてもそれは唯の灯りであつた。結局地上に存在するすべてのものは僕のために存在するのではなか

これは吉本のなかの孤独さが作られていく道筋を自分で説明しているわけでしょう。書物の著者というものとの一体感から引きはがされて自分という個になっていくこと。町の灯りというような地域社会とか庶民の町の光景から引きはがされて個として分離されてい…

わたしたちは自らを完成させるために生きてゐるものではない。また社会変革の理想を遂げるためにでもない。人類といふ概念のあいまいさを思ひみるべきである。人類はない。自らの像がいつもある。自らに対する嫌悪と修正の意欲が、わたしを精神的に生かしてゐるのだと言つたら誤謬だらうか。(断想Ⅵ)

共同の幻想として流布されている自己完成とか社会変革とか人類というような概念に一体化できずに個としての自分を区別する思考作業が行われているのだと思います。実朝の歌を事実を叙する歌だと見た吉本は、かって「固有時との対話」という詩集を書いていま…