わたしたちは自らを完成させるために生きてゐるものではない。また社会変革の理想を遂げるためにでもない。人類といふ概念のあいまいさを思ひみるべきである。人類はない。自らの像がいつもある。自らに対する嫌悪と修正の意欲が、わたしを精神的に生かしてゐるのだと言つたら誤謬だらうか。(断想Ⅵ)

共同の幻想として流布されている自己完成とか社会変革とか人類というような概念に一体化できずに個としての自分を区別する思考作業が行われているのだと思います。実朝の歌を事実を叙する歌だと見た吉本は、かって「固有時との対話」という詩集を書いています。固有時との対話という詩を書いた吉本の経験が実朝の歌を見通させていると私は感じます。社会が身動きもとれない以上、社会認識も身動きがとれない。その身動きがとれないなかで情緒とか抒情とかの運命はどうなるのか。それは人間がどうなるのかという問いと同じです。


おまけです。
 「源実朝」より          吉本隆明
この中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見では当代に数すくない人物の心を訪れているのは、まるで支えのない奈落のうえに、一枚の布をおいて座っているような境涯への覚醒であったが、すでに不安というようなものは、追い越してしまっている。