2011-09-24から1日間の記事一覧

僕は決意したいと感じてゐる。若し現実がこのまま発展してゆくならば、僕らは、再び不幸な戦争の渦中に自らを見出すといふことになるだらう。人々は、傷つき易いように忘れやすい。僕は、執拗に且て自らを苦しめたからそれを再びしたくはないのだ。何人も殺し合ひを好むものではない。併し戦争を阻止するといふことは決して、単に殺し合ひを好まないといふ意志によつて行はれるものではない。若しそのやうに軽信するものがあるとすれば、それは歴史といふものに対する無知に外ならないのだ。戦争とは一つの指向性であつて、これを阻止するには、逆に

戦争は、殺し合いはイヤだ、平和が好きだという意思を持つ人が単にたくさんいれば避けられるか。そんなことはないと吉本は言っています。副島隆彦によれば戦争は国家のおこなう一種の公共事業であるということになります。戦争は軍事産業の大量の在庫を一掃…

これを為してどうするのかといふ問いが絶えず僕を追つてゐる。僕は、それに対して何も大切なことは答へられない。完全に答へられない。僕はすすんでこのノートを取ってゐるのではなく、無理にといつて良い程習慣的に行つてゐるにすぎないのだから。習性は僕を生きさせるという教義は、怠惰な僕がひとりでに得た唯一のたのみと言つてよいものだ。(断想Ⅲ)

習慣ということの意味を初期ノートの時期、吉本は執拗に考えています。なぜ毎日を送るのか、なぜこういうことを今日もやり明日もやるのか。はぎ取っていい理由をはぎ取っていくと、習慣と化しているからやっているだけだということしか残らない。その底には…