2011-01-01から1年間の記事一覧

生存するとは、精神にとつて判断することを意味する。判断に行為を従はせること。一般にはこれ以外に生存の図式は見つからない。(〈建築についてのノート〉)

これはこの文章に続く部分を読まないとよくわからないんですよ。飯を食うとか眠るとかの生きていく必要が生存するという言葉の意味です。そういう意味の生存のためにはにんげんの精神は判断し行動するということです。するとそこでは判断と行動はセットにな…

精神が一部自閉してゐて誰に対しても開かない。(エリアンの感想の断片)

感覚的にいうと精神が扉がしまるように、万力で絞られるように閉じる感覚というのがあります。ギギギギギと閉まると表情が固くなり、現実から心が遠ざかり、それでも入ってくる現実の言葉や関係にいらだちムカつき怒鳴りたくなる。それは誰にでもある瞬間な…

夜になると雨は止んだ!たつた一本しかない煙草に火を点ずると、其処には言ひようもない憩ひが感ぜられた。今夜僕は疲れてゐる。やがてすべては時の前に空しい残骸を晒すだらう。僕にはそれが別に悲しいとも何とも思はれない。僕にひとつの己れを賭ける仕事があれば、それだけは炬火のやうに燃えて燼きないことを願ふだらうに。(〈少年と少女へのノート〉)

この文章は読んだ通りのものだから特に解説はいらないと思います。ただここで言われている「ひとつの己を賭ける仕事」という仕事の意味が生活収入を支える生業(なりわい)よりも広い意味で使われていることを指摘すればいいだけだと思います。吉本にとって…

空想は捨てねばならぬ。だがこれは難かしいことだ。僕らが自分の空想を自覚するのは、将に自分が空想のため死に瀕してゐる瞬間においてである。真に空想してゐる者は少い。それはとりもなほさず真に空想から脱することの如何に難いかを暗示してゐる。(〈夕ぐれと夜との言葉〉)

真に空想している者という時に、戦争を心から肯定し天皇の神聖を心から信じ、それを断ち切られた吉本自身を含めていると思います。時代的な限界のなかで生きるということはすべての人間の宿命ですが、それはその時代の意識がどこかで空想を含んでいるという…

悲しみは洗ひ、嫌悪はたまる。〈三月*日〉(夕ぐれと夜との独白)

この言葉は分かりやすいので解説は必要ないように思います。また自分なりに自分に関心のある事柄に当てはめて使うこともできます。どうしようもない必然的な事柄については悲しみが湧いて、悲しみは感情を浄化するように感じられます。しかし判断の誤りとか…

現実は人為的に(意識的に)、又は必然的に(無意識的に)歪められてゐる。(形而上学ニツイテノNОTE)

意識的な歪みは意識的な努力で正すことができても、無意識的な歪みを正すことはとても困難だということでしょう。わたしが無意識の歪みをもっているとして、もっているでしょうが、それをわたしはどうして察知できるのか。たぶんそれを知りたいということは…

刻々と嵐の予感がやつて来る。どうなるのだらう。街々は勇ましいひと達と、虐げられて生きる元気もなくしたひと達と、アルダンの可笑しな兵士たちとでいつぱいだ。思想家は全くさびしく姿を消した。作家は貧困のため堕落した自嘲を、毎月の雑誌に書きなぐる。誰が、芸術や人間の魂について正しく語れるだらう。もう、ひとりの先達もゐなくなつた。奥深い静寂について、又茫漠たる海について、あきらかに今沈まうとする人類の寂しい夕暮について、あの不気味な地平線の色について誰が僕といつしよに考へてくれるか。(エリアンの感想の断片)

アルダンというのはアメリカのことです。エリアンというのは吉本自身のことで、これは自分自身と自分の現実をもとにした創作の文章です。しかしこの断片に関する限り吉本の敗戦当時の現実への感想そのものと考えていいと思います。この文章の中心は「もう、…

僕は空虚をもつてゐる。僕の思考はすべてこの空虚を充すことに費されてしまつたのではあるまいか。あの正号から出発してゆく幸せなひとたち。僕は先づ負号を充たしてから出発する。意識における劣等性はつねに斯くの如きものだ。(エリアンの感想の断片)

負号というのは自分自身に対する懐疑なんだと思います。自己矛盾を持たず自己をほがらかに肯定して即座に社会に対する考察や行動に入る幸せなひとたちと異なり、まず自分自身の中に存在する矛盾や自己嫌悪から取り組まなければならない。そういっているのだ…

あの遠くの家へ還つてしまひそうな貧しい少年や少女たち。僕はほんの短いノートを君達のために用意してあるのだ。幸せで富んだヨーロッパの少年や少女たちの精神の内面の出来事についての物語は、君達を慰めるかも知れない。けれど、これは大切なことだが、君達は慰めによつて生きてゆくのではなく、君達の創造によつて生きてゆくのだ。そしてこの国の貧しさや立ち遅れは、君達の創造を歪めたり湿らせたりするし、君達は精神の内面よりも、外面のことで多くの創造をしなければならないかも知れない。これが君達の不幸であるのかどうか、知らないのだ

東北と関東に大地震が起こり、その報道を聞きながらこの解説を書いています。この地震がこれからもどう進行するかわからない状況にありポルソナーレのゼミが成立するのかもまだ不明です。この地震に接して頭から離れない疑問を正直に書くと、この地震は本当…

そして秘やかな夜が来た。勿論、三月の外気は少し荒いけれど、それはあたかも精神の外の出来事のやうだ。夜は精神の内側を滑つてくる。甍(いらか)のつづき。白いモルタルの色。あゝ病ひははやく癒えないだらうか。僕は言ひきかせる。〈精神を仕事に従はせること。〉(夕ぐれと夜との独白)

あまり考えることに執着すると、五感覚的な把握が遠ざかり離人症に似た状態になります。頭で考えることは周囲の感覚的なことを相対的に離れることの上に成り立つからです。だからそれは息をつめることに生理的になるんでしょう。それを吉本は病といっている…

いや僕はしばらく非情のことに逃れよう。〈秩序とは搾取の定立のことである。〉世には搾取といふ言葉を好まない人々がゐる。悲しいことにそれらの人々はこの純粋な政治経済学上の概念に対して、神を感じてゐるのだ。いや人間をと言ふべきだらうか。やがて機構としての搾取は排滅し、人類はほんとうの歴史に入るだらう。(夕ぐれと夜との独白)

搾取というのは生産手段を私有している者つまり資本家が労働者を雇い働かせ、労働者が生産した価値の中から労働者が生活できる、つまり再生産できるかぎりの価値を労賃として支払い、残りの価値は資本家の自由にすることをいうんだと思います。もっと面倒な…

そうして僕たちは人類がまだ全く未開のうちにあることを納得する必要がある。しばしば自己の生涯と比較してゐる人々が、人類史があたかも老成期にあるかのやうに錯覚してゐる。この点についてのオツペンハイマーの注意を書きとめておこう。〈正系主義が支配と搾取とを、人種学的および神学的論拠を以て理論づけることは、どこでも同じである〉そうだ。そして現在でもといふ言葉をつけ加へよう。(夕ぐれと夜との独白)

人の生涯というものと思想が取り扱う人類史の長さというものを釣り合わせようという錯覚から若い吉本は早くも逃れているように思います。この老成した感性はどこから来るのか。たぶん吉本は自分の内面の井戸のようなもののなかに、歴史の現在だけでは説明の…

僕らを真に束縛するものは、現実そのものであるといふ処まで行つて、あらゆる行為は自由のための、自由の表現となるだらう。(原理の照明)

自由は精神の由緒正しい根源だという若い吉本の発想は、やがて人間の精神というものの根源には生命体という有機体が無機的な環界に対して抱く異和があり、同時にその異和を打ち消したい衝動があり、その結果有機体にも無機的な自然にも還元できない領域をい…

僕もまた長い間手掛けた精神の生産物を、何日かは嬉々として市場へ販りにゆかう。そうすることが、誰かの必要であるならば。(原理の照明)

吉本は書いたものを売るということに醒めた認識をもっています。売文という稼業を旅芸人にたとえています。それはふつうの生活人の下の境涯だという認識です。文学とか芸術という架空の職業がふつうの生活人に対して何かという問題意識は吉本に言わせれば、…

僕は絶えず歴史的な現実からの抑圧を感じてゐる。これは大戦中にも感じてゐたものと正しく同じ性質のものである。僕の思想が当然受けるべき抑圧であるかも知れない。(断想Ⅰ)

この吉本のいう「僕の思想」の中身が重要です。この文章で言われていることは歴史的な現実というものから抑圧を感じているということだけです。抑圧を感じているというのは具体的にいえば一家団欒で食事をしている時でも、職場で現場の仕事に集中しなければ…

ヨオロッパは精神の課題を第一義とすることが出来るに反し、アジアは現実の課題を第一となすべきである。(断想Ⅱ)

精神は現実があって始めて血肉となるものです。理解だけなら才能と知の習得に恵まれた少数のにんげんができるでしょう。しかし一般大衆が総体としてある精神の段階に達するには、現実の段階が踏み越えられる必要がある。それがアジアの課題で、今でもそうで…

〈世界の美は、悪しきもの、害あるものの秩序からも生ずる。(アウグステイヌ)〉(断想Ⅵ)

アウグステイヌじゃなくてアウグスティヌスじゃないかと思うんだけど外国語は全然わかんないからな。ましてアウグスティヌスの思想というのは全然知らないので困ります。だから今回は昨年にも増してテキトーなことを書きますので、しかもちょっと酒もはいっ…

我々は虚無にあつて何ものをも創造せず、何ものをも定義せず、何ものをも救はない。(〈虚無について〉)

虚無という形而上の言葉を「うつ」という形而下の言葉に置き換えてみます。うつは何も創造できない、理屈に耐えられないから定義もできない、誰も救えないしそもそも自分自身が救えない。しかしうつであろうとなんであろうと生きている以上、どこかにひそか…