僕が薄明りのやうに訪れる希望の曙光に胸をおどらせるといふこと。これには思つたより重大な意味がある。(断想Ⅵ)

吉本もなんらかの理由で生涯のはじまりにNOを背負った人物です。それは幼児期、あるいは新生児期、あるいは胎児期にさかのぼって考えることができますが、それを明確に把握することはとても難しい。なぜなら母親が我が子に真正直にその時期の真実を語ることが難しいからです。しかし同時に希望の曙光に胸をおどらせるという感覚には、生涯の始まりのYESが関わっているかもしれません。重大な意味があるというのはその根源的な希望の、秘匿された起源にさかのぼる情動の発露を指しているのかもしれません。

おまけです。

「超恋愛論」(2004)より           吉本隆明
子どもが生まれて最初の一年がとにかく肝心で、その時期にだけ母親が子ども中心の生活をして育てれば、その子は将来、そうおかしなことにはならないというのがぼくの考えです。逆に言うと、そこのところで子どもにちゃんと手をかけておかないと、その先になったらもう取り返しがつかないということです。