問い「(吉本の『今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もうやりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは容易ではない』を受けて)、明るさは戻るか?」吉本「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過している。公の問題に押しつぶされず、それぞ

こうした考え方の正当性は、なにより今回の被災者の人々が体験されていることだと感じる。悲惨な状況から立ち上がるということは残された身近な世界を大切にするということなのだと思う。いつのまにか私たちは自分を含む人々の生活や社会を、それを上から管理し支配するものの視点から考えてしまう無意識をもっている。その視点が善意からきていようと多数派を占めていようと知的な装いをまとっていようとそれは自分自身と厳しく区別するべきものだ。私の仕事である介護の側面でいえば、ひとりの老人は福祉の対象であり医療の対象であり介護事業の対象であるが、本質的には彼は彼自身の内面と彼のたどってきたちいさな周囲の世界のなかに生きている。そのちいさな世界が彼が彼でありうる、また立ち上がる気力をもちえる本質的な世界だということだと思う。

おまけです。
「情況への発言」(1989年2月号より)    吉本隆明

絶対的な安全な装置などありえないから、おまえは科学技術の現場にあって技術にたずさわること、新しい技術を開拓することをやめるかといわれれば、わたしならやるにきまっている。危険な装置の個所や操作の手続きに不安があれば、何度でもおなじ実験をくりかえして、対応の方法を見つけだすまでやる。それが技術家の良心だ。