且て死を選択することのなかつた幸せな人にお目にかかりたい。(〈少年と少女へのノート〉)

お目にかかりたかったら、そういう人はいくらでもいると思います。やっぱり幸せな人っていうのもいるんだと思います。それは死を選択するか死なんて考えないかということの分かれ道が人が生まれて育つどこかにあるということです。では理想的に生まれ、理想的に育つと人はどんなふうになるんでしょうか。そういう人は具体的に誰なんでしょうか。人間という特異性は理想的に生まれ育つということのなかで、どういう問題を孕むのか。あるいはもう問題なんてなくなっちゃってめでたしめでたしなのか。それは人間の未来としてぜひ知ってみたいことです。

おまけ
「死のエピグラム」より             吉本隆明

「一言芳談」の思想をいちばんラヂカルに表象した語録をということなら、百二章の顕性房の言葉を挙げたくなる。概訳して記すと、

 顕性房が云われた。じぶんは世を遁れたはじめから、はやく死ななければと云うことを習練し   
 た。そういうわけで、三十余年間、習練したおかげで、いまは片時も忘れない。はやく死にたいので、すこしでも延びたようにおもえると、胸がつぶれて、わびしくなってくる。そうだからこそ、符籠(ふご)ひとつでも、いいとおもってもつことを抑えるようにしている。生死のこの世を厭うことを大事だとおもわずにおられようか。云々。