2009-01-01から1年間の記事一覧

「人間が他人を認識するのは、習熟によってであり、その習熟が如何なる種類のものであっても、この原則は適用されて誤らない」(批評の原則についての註)

これは一種の逆説を語っているのだと思います。他人を認識するのは鋭い観察力とか洞察力とかによる、というのが普通考えられることです。しかしそれは一発勝負というか、ある時点で行う優れた判断ということであって、時間的な繰り返しという概念を含んでい…

「わたしはしかたなしに孤独な希望を刻みつけなければならぬ」(第二詩集の序詞(草案))

吉本は戦後少数ではありましたが、同じような思想を持ってともに戦うという思想的な連帯感を感じる人たちを持っていたと思います。それは必ずしもつきあいがあるとは限りません。しかし次第にその連帯感は失われ吉本は孤独になっていきます。そして現実とい…

「人間精神の現代的な課題は、必ず解かれなければならない。われわれの現代は、かかる種類の批評家をもってゐない」(批評の原則についての註)

吉本は常に現代的な課題というものに執着してきました。言い換えれば常に「現在」というものを必ず解かなければならないと考えてきました。一貫してそうですね。批評家というものはみんな現代的な課題を追求してると思ってやってるでしょうが、吉本には本格…

「僕はひとびとのように現実の危機に対しての人間の生の不安、絶望を強調するわけにはいかない。ただ、それをもっともだと感じているだけだ。僕は人間そのものに絶望してゐる。これ以上、何に絶望できるか?」(断想Ⅵ)

現実の危機に対しての生の不安とか絶望というのは、戦争直後の若き吉本の時代に活字上でよく語られた現代の精神の問題への語り口の一つです。それに対して吉本は不満なわけです。そんなことで済ますわけにはいかないぞ。そりゃべつに間違ってはいないだろう…

「芸術の終局は必ずや現実の発見である。だが、現実の発見は、恐らく芸術の存在理由を消滅せしめるだろう」(方法について)

芸術というのは個人が個人として存在することで生み出していく心の領域を表現したものだと思います。社会の一員としての個人の心の領域、つまり共同幻想の内部の心の領域でもないし、個人が他の個人との間で作り上げる性としての心の領域、対なる幻想の領域…

「ぼくは未来を怖れない。ぼくの怖れてゐるのは、現在だ」(寂寥についての註)

現在だ、というのは現実だということだと考えてもいいと思います。人々がこれが現実だと思っているよりももっと根底的なところに真実があり、それこそが現実と呼ばれるべきだ。だからたった今の現実が分からないまま生きている。真に怖れるのはそのことだ、…

「精神の強さは、一般には持続力としてあらはれる」(断想Ⅲ)

そりゃ吉本さんの持続力はハンパねーっスよ。パねース( ̄Θ ̄;) 「言語にとって美とはなにか」という論文は1961年9月から1965年6月まで試行という同人雑誌に連載されていたそうです。約4年ですね。同人雑誌だから原稿料も出ない。売れたから印税は…

「方法的な制覇は、必ずや完備せる制覇を生む」(文法について)

カッコイイ言い方で好きですが、要は物事を考える時に原理的な方法をどう周到に用意したかで、その考え方の成否は決定されるということでしょう。戸締り用心、火の用心っていう・・・それは関係ないか(・-・*)おまけです。「言語にとって美とはなにか」のあ…

「僕にはまだどうしても現実の構造がわかってゐないらしい」(断想Ⅵ)

初期ノートを書いていた時代の吉本は、戦争中に信じていた世界観を打ち壊されてマルクスの世界観に始めて触れて衝撃を受けている頃なわけです。私が世界観に大きな衝撃を受けたのは、近年では小泉政権ができて以降のことです。小泉と竹中が郵政の民営化を強…

「人間は支配の秩序に馴致された精神の秩序を有ってゐる。名誉欲、金欲、支配欲。だから性欲はいちばん純粋なものだ」(断想Ⅵ)

性欲は今の吉本の考えに沿っていえば、純粋であるというより人間の中の動物性を根底にしているものだということじゃないかと思います。動物に性欲があるように人間にも性欲があるわけです。しかし性愛の対象がこの異性じゃなきゃダメだというような意識は、…

「自分自身を救済すべくにんげんはその青春を費やす。その結果がどうであるかぼくは知らない。ぼく自身の孤独のなかに誰もはいることはできない」(断想Ⅶ)

孤独とここで言っているのは友達がいないとか、会社で上司から嫌がらせを受けているという孤独のことじゃないですね。自分が自分自身と自問自答するような、自分との対話ってあるでしょう。あなたもやってるでしょう。「自分の世界に入っちゃってる」とかよ…

● 「与えられた任意の場所から出発するための条件。われわれは常に用意されてゐなければならない」(断想Ⅶ)

吉本の講演CDで聴いたんですが、吉本は福岡を例に取って彼の都市論を語りました。そしたら聴衆から質問があったんです。もし役所の都市計画課とかで仕事をしてる人が、吉本さんの都市論に共鳴していてもそれが実現できない現実があったらどうしたらいいか…

「世には弱しい魂の主人がゐて、薄暗い軌道しか歩まないやうになってゐる。僕は、そのひとのためにのみ何かを語るようになりたい」(夕ぐれと夜の言葉)

弱々しい魂の主人というのは、やはり胎児期、乳幼児期に母親との関係で深くついた傷を無意識の中に宿している人、ということになるかと思います。そういう人の歩む薄暗い軌道というのは内面の軌道であって、内向的であり、おどおどしていて、万事受身であっ…

「この国の社会様態は、中世人と現代人とを同時に共在せしめてきた。今や、経済的悲惨は、個々の人々を分裂せしめてゐる。即ち、生活様態は中世的に、頭脳は現代的に。 且てこの分裂は、知識人と労働者階級との間の分裂であり、同時に均衡であったが、今や、個々人の内部における思想と様式、現実と精神の分裂をうながしてゐる。即ち、四重の双極子分裂の状態が、この国における形而上的な表情である」(中世との共在)

日本の中世的っていうのは、要するにアジア的ということだと思います。現代的というのは欧米的ということでしょう。かってそれはインテリは欧米の模倣を行い、大衆はアジア的な生活と思想の中にいた。でも社会全体が次第に欧米的になっていって、個々人の中…

「芸術家は習慣によって、即ち技術によって制作してゐる。決して何故?といふ問を喚起しないだらう。この問ひは芸術家の中に一人の批評家を生むものである。僕は、批評家をその胎内に持たない芸術家を好まない。画家音楽家を僕は好まない」(芸術家について)

批評家を胎内に持たない画家、音楽家というのは、目とか耳の感覚器官を主として働かせて作品を作っているということになると思います。そういう芸術家にももちろん言葉はあるわけですが、その言葉は主として感覚器官からの刺激を言葉にしていると思います。…

「芸術は芸術であるが、芸術発生の動機には一つの抑圧に対する反応があった。即ち人間精神の存在についての或る岐路があった。この岐路から出発しない芸術は空しいし、常にこの岐路に立ってゐない芸術家はだめだ」(芸術家について)

抑圧に対する反応と吉本が言っている意味はよくわかりません。私は芸術家ではないですし、普通の勤め人ですから。しかしもし私たちが芸術家でなくても、もし精一杯に考えて、これしかないという選択をもって行動する時に、それは生活において芸術に似たもの…

「人類は未だ若い。まだあの前史は終っていない。矢張り搾取なき世界で、各々が暁の出発をはじめるとき本当の歴史が始まるだらう」(風の章)

「あの前史」と言っているのはマルクスの思想の概念で「人類の前史」という意味です。前史が終わると本史が始まるだろう、と考えられています。前史は搾取というものがある歴史で、本史は搾取のない歴史として始まる。それからが各々、つまり一般大衆が、そ…

「若し搾取なき世界が実現するとすれば、今日存在してゐる社会機構とは全く異なった次元で実現されることは確かである。今日人類がとってゐるあらゆる社会形体は、殆んど良きものの萌芽を見出すことが出来ない」(少年と少女へのノート)

社会とか社会機構というのは、アジアの民である私たちには第二の自然のように感じられるものです。つまりあまり考えることの苦手なものです。その社会機構を正確に捉えようとするだけでなく、今ある社会機構とは全く違った次元にある社会機構を想定する、空…

「教会と国家――神権と政権との結合に奉仕してきたあはれな人類!」(「エリアンの感想の断片」42ページ)

教会と国家というのはヨーロッパの話で、吉本の言いたいのは日本のことだから要するに天皇という問題です。天皇ってのは何なんだ、という問題はぶっちゃけ私たちの世代にとっては関心の少ない問題です。天皇とか天皇家というのは、テレビで見るアノ人たちで…

「社会思想史は、社会構造の不合理な部分が淘汰されなければならないことを教へる」(「風の章」50ページ)

社会思想史は社会構造の不合理な部分が淘汰されなければならないことを教える。それは社会思想史が観念の歴史だからです。観念は観念にとって不合理なるものを嫌う。それで社会思想史が生み出したソ連や中共はどうなったか。あるいはアメリカやヨーロッパは…