「民衆の最も重要な部分のひとは、社会的無関心を以て、社会的悲惨のなかに陥ちこんでゐる。芸術家と思想家の最も重要な部分のひとは、二千年以来の社会的無関心によって、相も変はらず、楽天的手仕事と切り口上を繰り返へしてゐるに過ぎない。」(中世との共在)

民衆の最も重要な部分の人とは最も民衆の本質的な暮らし方をしている人、つまりちょっと文化的なことや政治的なことにも首をつっこんでいるような人でなくて、生活圏をあまり出ることなく毎日毎日の生活を繰り返して生きている大衆の原像に近い人というような意味でしょう。芸術家と思想家の最も重要な部分の人とは最も優れた芸術や思想を生み出している人。その芸術や思想が政治的にどういう傾向にあるかということには関係なく、つまり保守的であろうと反動的であろうと優れた表現として成立している人という意味でしょう。そういう人は社会に対して無関心なもんなんだ、という実感を吉本は書いていると思います。それが日本だしアジアなんだということでしょう。その意味は単に欧米的な近代の基準で裁いてもしかたがない。それでは本質的な生活の内部の価値と、手仕事としてなされた表現の内部の価値が失われてしまうからだ。それが吉本の批評のあり方だと思います。ふろくです。これは岩淵五郎という編集者が飛行機の遭難事故で亡くなった時の追悼文の一部です。

「岩淵五郎」              吉本隆明
(中略)

わたしは、いつのころからか物書きと編集者という立場を意識せずに、もっとも信頼するに足りるひとりの人間としてかれに接するようになっていた。そうするうちに、この自己について語りたがらない人物が、どこかでいつか<放棄>したにちがいない生の構造がおぼろげながらわかるようになった。岩淵五郎は、どんな理由で、なぜそうしたかは知らないが、過去のある時期にじぶんの人生を棄てたにちがいない。じぶんの人生を棄てるとはどういうことか?それを確かな言葉でいっても仕方がない。わたしはそれがわかったときからこれからの生涯で二度と出遇うことはあるまいとおもわれる知友をかれに感じた。かれにもわたしの<放棄>の構造はみえていたはずである。かれの思い遣りは、だから透徹していて湿気がなかったが、ほとんどどんな事態にも手が届いていた。わたしは何度も、いつの間にか、かれの手がわたしの危機の構造にとどいている気配を感じて、内心でおもわずうなったのをおぼえている。 わたしは物書きとして多くの敵をもっているが、物書きである敵などはいずれもたいした敵ではない。しかし岩淵五郎のような自己を放棄した敵がこの世に隠れているとすれば、現在のわたしはとうていそれに抵抗できないだろう。かれの存在をおもうたびに、わたしはいつもじぶんの書く物の届きえない存在がこの世にあるのを感じた。この世でわたしの書くものをひそかに肯定したり、わたしの書くものに微笑して激しい敵意を燃やしたりしてくれた存在を、いま、喪ったのである。
(中略)