「僕が何よりもこの著書について驚嘆を禁じ得なかったことは、それが感性の高次な秩序を要求するといふことであった。僕は、この点についての多くの信者たちの悪循環をよく知ってゐるし、彼等に悪循環をさえ要求するような見事なマルクスの思想も知ってゐた。唯、僕が何故その悪循環を経験しなかったかと言へば、それは、僕の全く対蹠的(注・たいしょてき。正反対の位置関係にあること)な部門についての少しの修練があったからである」(カール・マルクス小影)

感性の高次な秩序を要求するというのはどういうことか。まず、資本論に表現されているマルクスの思想は何百年、何世紀というような時間の幅の上に成り立っているわけです。そういう大きな時間の中で自分のいる社会を考えるということ自体が感性を変えるでしょう。ちょうど山の上のようなところから世界を眺めると感性が揺さぶられるように。つまり自分が日常的になじんだり、信じ込んだり、愛憎を傾けたりしている周囲の環境が、突然格段に大きな規模の時空の中にふきっさらしになるような揺さぶられ方をするわけです。その動揺をおさめるためにはより高次な感性の秩序を作らなければならなくなります。今までは素朴に国家は永遠に続くものと思っていた、今までは素朴に貧富の差はしかたのないものだと思っていた、今までは素朴に周囲の小さな世界で生涯を終えるものだと思っていた、今までは素朴に社会が与える理念を信じていた。それが決定的に揺さぶられ、頭がぐらぐらするような広い場所に連れ去られる、それがマルクス思想との出会いです。
信者たちの悪循環というのは何を言っているのか。それは大きな歴史の枠組みの中で、階級間の闘争としての歴史というような今まで考えたことのない観点を与えられ、しかもそれは現在ただ今の現実でもあり、世界は闘争として変革するものとして存在する、さあおまえはどちらの側につくのだ、というような倫理的な問いもそこに含まれている。その倫理性が信者を作るわけです。信者というのはつまりマルクスを読んでカチコチのマルクス主義者になった人たちです。マルクス主義者になることが何故悪循環になるのか。それはマルクス資本論に現れたような思想が何百年という時間を舞台にして考えられている思想なのに、それを単純に自分の百年足らずの人生に集約しようとするからだと吉本は言っています。
マルクスは社会や歴史を必然的な移り行きとしてみなすにはどう考えたらいいかと苦心したのだと思います。必然的な移り行きとは根底的には自然史の移り行きです。自然が移り行くような必然性を社会や歴史にどう見つけたらよいか。そしてマルクスは経済の歴史の中に自然史に近い必然的な移り行き、つまり人間の意志でどうにもならないような一貫した動力を見つけたのだと思います。そのためには大きな時間軸を思想に導きいれざるをえなかった。その時点で資本論に打ち込むマルクスの思想の中には個々の人生をどう生きるかという問題は捨象されているのだと思います。個々の人がどう生きようと、どうしようもなく移り行く大きな社会、歴史の流れを問題にしているからです。
しかしそれはマルクスの思想の全体において、個々の人生をどう生きるかという問題が捨象されたことにではありません。つまりマルクスが個の生涯をどう生きるかという倫理や思想を持っていなかったわけではないということです。マルクス資本論の思想に到達する前に、個人の思想から共同の思想までを含む全観念の領域についての考察を完了していたと吉本は考えています。だから資本論に現れた社会観、歴史観というものはマルクスが自分の思想全体の中に、ある思想の範疇を設け、その範疇の中で作り上げた思想だということになります。マルクス主義者というマルクス信者にはそれが分からないんだというのが吉本の言いたいことだと思います。
分からないとどういうことが起こるかというと、数百年の規模を持ち個々の人生という問題を捨象した思想を単純に自分の人生の指針としようということが起こるわけです。無理矢理自分の人生を押し込めようとするために、自ら自分の人生の中の個人的なもの、一対一の対人的なものを捨象しようとするようになります。そして大きな自分の人生を捨象して作られた範疇の思想からの倫理的な呼び声に応えようとします。分かりやすくいえば、歴史の使命感に満ちた政治的な人間に変身してしまうわけです。そんな感じの人間がいるでしょう。社会的な倫理観の権化になったようなバカちんが。それは物事の考え方には必ず範疇、つまり枠組みというものがあって、それを超えたらバカちんにしかならないことが分からない奴なんですよ。例えば校長先生みたいのが朝礼なんかで演説するでしょう。そして時折何をくだらねえこと言ってんだよ!みたいなことを言う場合があるでしょう。「若者は若者らしく」みたいな、さすがに今時はそんなダサいこと言わないかもしんないけどさ。その時校長は校長として言うべき物事の範疇を超えた倫理的なことを言ってしまっているわけです。
もしこの校長が自分は言いすぎた、個々の人生をどう生きるかということは若者らしくというような単調な倫理で支配するべきものではないと反省し、しかしまた(やっぱり若者らしさは大事だよなあ、それにつけても今時に若者は・・・)みたいなことを思いなおしてしまうとしたら、校長は悪循環を演じることになるわけです。マルクス主義者もまた、マルクスの思想の範疇の理解がなく、そこに押し込めた人生と、そこから捨象してしまった人生の間を振り子のように往復する悪循環を演じたと思います。それは自分の作り出した悪循環に過ぎないのだ。マルクスをなめることもできないが、個々の人生をなめるなよということです。
吉本が自分が悪循環を演じなかったのは対蹠的な部門に少しの修練があったからだ、と言っているのは要するに文学を知っていたからだということです。文学は個の世界や対なる愛の世界を描くものですから、吉本にはマルクス主義者のようにそれを単純に捨象する信者にはなれなかったということでしょう。しかしマルクスの信者たちは大きな勢力を誇り、信者にあらずんば人にあらずというような倫理的な脅迫をもってインテリを脅かしていました。その圧力を思想的に跳ね返し、原理的な決着を付けるために身心を削るエネルギーを吉本は費やしていったと思います。そして苦心の果てに作り上げられた吉本の思想は信者たちの天国であるソビエトが崩壊し、中共が資本主義化する現在までを貫く一貫性をもっています。

おまけです。これは「試行」という吉本が発行していた個人誌に掲載された文章です。
少し説明が必要だと思います。「試行」には「情況への発言」という吉本の書く連載があって、「情況への発言」にはしばしば吉本自身が「主」と「客」という二つの人物になって対話する形の文章があります。だから「主」も「客」も吉本自身です。黒田喜夫という人は詩人で日本共産党の党員で、生涯を日共の思想の中に生きた人です。そして誠実で優れた詩人です。この文章は黒田喜夫が死んだときに吉本が「試行」に発表した文章の一部です。吉本には吉本のマルクスの思想理解があり、それは黒田が所属し生涯を費やした党派の思想とは決定的に決別すべきものでした。しかし吉本には黒田の詩人としての価値が分かり、また黒田との人間的な交流もありました。そして黒田の死に面して吉本は言うべき事を言っています。

黒田喜夫」           吉本隆明 (「追悼私記」所収)
(略)
客 おたがいさまだよ。黒田喜夫は死んじまったから、しんみりするわけじゃないが、ゆとりもなくただ走り抜けるだけみたいな、現在のきみ(吉本)の危機感は「病人たちの制限された肉体が与える人生の断片を心情の無邪気な歓びのすべてをもって、一つの完全な人生であるかのように受け取るため」(リルケフィレンツェだより」森有正訳)に必要な「感受性と性格の深い繊細さ」を欠いているんだ。きみ(吉本)が欠いているとは敢えていわないが、そういう時間がきみ(吉本)を欠いているんだ。
 黒田が骨の髄まで信じこんだ理念が、骨の髄まで欠いていたもの、欠いたまま黒田を死に追いやったものは、ざっと次のようなもんだ。

 少したってその若い婦人は言った。<告白するのが恥ずかしいのですが、わたくしは死んだも同様なのです。わたくしの喜びは本当に滓のようになり、わたくしはもう何も望んではいないのです>。わたくしは何も聞こえないふりをした。それから突然嬉しそうな調子で叫んだ、<蛍がいますよ。見えますか>。彼女は首を振った。<あそこにもいますよ>――<ほら、あそこにも――ほらあそこにも>とわたくしは彼女を引張って歩きながらそう付け加えた。彼女は夢中になって数え始めた<四つ、五つ、六つ・・・・・>。そこでわたくしは笑って言った。<あなたは恵みを知らない人だ!これが人生です。六匹の蛍。ほかにまだ何匹もたくさんいる。あなたは否認しようとなさるのですか>。(リルケフィレンツェだより」森有正訳)

ようするに蛍が数えられないのさ。お互いにな。そんなの自慢にも何にもならねえんだ。