「若し、現象を論理的に解明しようと欲するならば、この基本反応(注・動因を原理的なものに還元すること。帰納法のこと)に、若干の偶然的要素を加へて、各人がなすべきところのものであると思ふ。資本論は、正しくこのやうな抽象的といふことの持たねばならぬ重要さを具へてゐたと言ふことが出来る」(カール・マルクス小影)

この文章は前々回の解説でも引用したので同じことを繰り返す感じですが、要するに原理的な考察を行うときには具体的な現実の現象の分析から始めるわけです。マルクス大英図書館にこもって膨大な歴史資料の山から現象の背後にある原理的な法則を発見しようとしています。またマルクスにはジャーナリストの面があり、当時の現実の現象に直接分析を加える文章も多く書いています。私たちの現在を考えると毎日新聞やテレビ、ネットから、世界中の多くの現象の洪水が情報として提供されています。政治、経済、社会、犯罪、風俗、文化などの目もくらむほどの情報の洪水です。この具体的な現象の山に分け入って自分で原理的なものを発見するために考え続けるということがどのくらいの労力と困難さを伴うかは想像も及ばないところがあります。しかしマルクス資本論を書くためにそれをやったわけです。従ってマルクス資本論は非常に抽象的な観念の解説から始まりますが、その抽象的な観念に到達するまでの膨大な具体的な現象の洪水との格闘は秘められています。そしてマルクスが自ら発見した抽象的な原理法則をもって社会や歴史を描くとき、かって誰も描けなかった目の覚めるような鮮やかな社会観、歴史観が描かれるわけです。しかしマルクスの思想的な頂であるマルクス思想というものを問題にする時には、マルクスがいかにしてその頂に登ったかも知っていなければいけないと思います。それを知ることが現象と原理の関係、倫理と思想の関係について分かることなのだと思います。
これだけだと前々回と同じなので、少し個人的なことを書いて座興に供したいと思います。私が吉本から学び人生の中で繰り返し考えたのは吉本の抽象的な概念である共同幻想、対幻想、自己幻想という全観念の領域を区分する概念でした。この抽象的な概念と概念間の基本反応に若干の偶然的要素を加えて自分の身の回りの現象を解明しようと、私もまた欲してきたわけです。ぐちゃぐちゃと堂々巡りを続ける、悪循環を続けるような自分の内面になんとか窓を開けたかったのだと思います。
私は私の生まれ育った家族の中の経験がどういう意味を持つのか知りたかったと思います。それが私の堂々巡りする悩みや不安、苛立ちの根源にあると直感していたからです。私が自分の生い立ちを考え、父や母を考えて、何故父親は社会主義政党の党員になって議員になることに生涯を費やしたのか、そして何故母親はそれに黙々と付き従って生涯を送ったのかを考えました。父親は旧日本社会党の議員だったわけですが、議員という立場を社会の外側から見ればそこには賞賛がありまた批判がありということになりますが、そうではなく子供として家族内の楽屋裏から、あるいはからめ手から見ると、やはり共同的な幻想というものの魔力が父親の内面を覆っていったのだと考えざるをえませんでした。
社会的な何物かになる、今で言えば勝ち組になる、という野心が父の終生消えない執念だったと思います。その野心の達成できる可能性が社会党の凋落とともに消えたときに父親の生涯も消えていったと思います。父は五十代で脳出血で死にましたが、それは私には単に生理的な問題ではなく社会が心に与え、心が肉体に与える影響の問題だと思えます。
共同幻想が生み出す舞台というものは政治的な舞台であれ文化的な舞台であれ華々しく脚光を浴びるものです。それは貧しく卑小な現実が生み出した夢が背光となって舞台を照らすからです。選挙に当選して万歳三唱され議員になるというのもひとつの共同的な舞台に立つことであって、それは火が蛾を惹きつけるように人を惹きつけます。政治家という職業にはもちろん一定の社会的な役割があり、厳しい仕事の責任があり、過酷な権力闘争があり、次の選挙に当選するための果てしのない地元での活動があります。政治家というものは重要な仕事であることに間違いはありません。しかし息子としてのからめ手から見たときに、無意識に浸透する共同の幻想の力が父をさらっていったように見えるのです。あくまでも無意識までを問題にするならば、共同性の舞台に這い上がるしか無意識の居場所がなかったのではないかという疑問が生じます。
そしてその父親の共同幻想に憑かれた生涯は、社会的な何物にもなれそうもない息子である私の人生にも大きな劣等感と対抗心を残していきました。それは私も裏口から共同幻想の魔力に絡み取られることを意味しました。いったい社会的な何物かになる、というような野心が無意識までを覆ってしまう人物が存在するのは何故でしょうか。
それは私にはその人物が自己幻想、つまり果てしなく自分自身と対話して、自分の属する党派や集団の外側まで思考を広げていこうとする心の領域をどこかで閉ざし、また対幻想、つまり人間が人間の全体を感知する唯一の方法である愛と性の領域もどこかで閉ざし限界を設けたために、すべての思考と情念の領域で共同幻想であるところの政治とか国家とか権力とか社会的な上下関係の秩序とかが絶対的な上位を占めてしまった結果の人間像だと思われてなりません。もちろん父にも自分と対話する世界がなかったわけはなく、また家族を愛する心がなかったわけではありません。しかしその見えない世界と世界がぶつかる境界のようなものが人生の各所にあって、そこでは必ず共同的なるものの支配力が、共同的な幻想が、逆らえない恐ろしい掟のように父を連れ去っていったと思います。そうした父と家族の人生の経緯を、家族の一員として目には見えない手触りのように私は感じます。それが父をライバルのように感じ、劣等感と対抗心に苛まれてきた私が得たひねくれた目なのだと思います。私は共同性の舞台に上がりたがる人を見るとひねくれた目で見ます。おまえは実はおまえ自身の無意識が共同性の舞台にしか居場所をなくしてしまったために、頼まれもしないのにしゃしゃり出てきただけじゃないのか、というようにひねくれて見るわけです。
そういうひねくれた感覚を共同性の別の舞台である知の世界の中にも感じます。知の世界もまた共同的なものであって、個的な世界にも対なる世界にも居場所を失った者たちが、虚しい大言壮語をする世界という一面をもっています。個的な世界の本質は沈黙であり、対なる世界の本質も沈黙であるがゆえに、それらの世界を見失うと、つまり沈黙の世界を見失うと共同の言葉の世界だけがすべてになってしまうということがあります。あるいは価値の世界を見失うと意味の世界だけが世界であるかのような錯覚が支配する内面というものがあります。そこには付ける薬がない。何を言ってもすべては知の世界の中に、共同の秩序の中に吸収して済まされてしまいます。知の世界の中の範疇ではなく、知の世界、共同の世界自体が世界全体の一つの範疇だという思想のみが、このいらだたしい魂を蝕み人生をさらう悪循環を断つことができます。それが吉本が生命を賭けて作った思想の重要性であって、私が吉本の思想をもとに自分の人生を感じなおして、深い呼吸を取り戻せた経験でもあります。だから私は吉本を尊敬するわけです。