「わたしは決して眠りたいとは思はない。限りない覚醒を欲する。わたしが覚めきったまま、わたしの死をむかへる、そのやうな一種の凄愴(せいそう)な光景を思いうかべる」(断想Ⅵ)

これは醒めていたい、ということを言っているわけです。醒めるというのは、言い換えれば対象と一体化したり、対象に包み込まれたりしないで、対象を突き放して認識する精神の態度です。それは西欧的な学問・思想・科学の態度と言えます。その果てに、自分の死の間際まで、死にゆく自分自身を対象化して醒めて認識し続ける、というたいていの日本人には生理的に受け付けないような状況をイメージしています。
吉本は戦争中に自分の死を思い浮かべざるをえませんでした。当時の若者はみなそうだったわけです。自分の近い将来の戦争死を、どうしたら心で納得できるか。なにと取替えっこなら、自分の死を覚悟できるか。家族、友人、恋人、社会のため、アジアの解放のため、といった理由をさんざん考え抜きながら、吉本は最後は生き神様としての天皇のため、というのが一番取替えっこできる理由だと感じたと回想しています。これは現在の戦後生まれの私達にはピンとこないことです。しかしこの頃、吉本も大多くの日本人も、生き神様としての天皇を信仰していたと言えるでしょう。吉本も信仰の中にあったのです。そしてその信仰は、自分自身の目の前に迫った死という、これ以上はないほどの切迫した状態の中で突き詰められた信仰でした。つまり自分の精神を極度に収斂させ、つまり死との取替えっこという人生の一点に集中させて、生き神様への信仰に到達したわけです。
それは天皇と一体化したということです。あるいは天皇という存在に包み込まれたということでしょう。死と取替えっこできるものは何かという切迫した問いは、天皇という存在の中に溶け、いわば眠ったわけです。果てしなく掘り下げようとする自意識を眠らせる天皇という、自意識より深い根拠を感じさせるブラックホールのような吸引力を吉本はいわば命がけで体験したのだと思います。この戦後の初期ノートの、死ぬ時まで醒めていたいという文は、戦時中の死と取替えっこできると感じて眠り込ませた自意識の記憶に嫌悪を込めて反抗しているわけです。
戦後のさまざまな思想に吉本が異議申立てをしていった根拠は、なによりもこの戦時中のありふれた若者の一人として、今から見れば異常だけれども当時では一般的であった、自分の死を天皇の存在と取り替えるという突き詰め方を自分もしたんだ、という体験の中に含まれていたと思います。この極度に精神を集中させ、収斂させて何かを感じ取った経験から見ると、戦後の民主主義思想への転換も、戦争中の思想に対する切り捨て方も、戦時中の体験の一番深い根底にあるものを飛び越したいい加減なものと感じざるをえなかったのだと思います。ではいい加減でない戦時中の体験の思想化とは何か。
それをつかむために吉本は一方で言語や心の原理論を掘り下げ、また現在に対する状況論をたくさん書き、さらに歴史の初源に遡って親鸞を始めとする古典としての宗教や文芸の批評を書く仕事を積み重ねていきました。力の限り深く広い穴を掘って、自分の精神を戦争中に眠らせたブラックホールを丸ごと掬い上げようとしたのです。そのブラックホールはアジア的という概念で掬い上げられるものだ、というのが吉本の考えであると思います。アジア的というのは日本とか中国とか中東といった地域の概念であると同時に、世界史の段階を示す概念です。そのことは以前に書いたと思います。吉本が戦争中に体験した自意識を眠らせる天皇という生き神様の問題は、世界史とか世界思想という舞台の上で解剖しない限り、丸ごと掬い上げることはできない。丸ごと掬い上げられないかぎり、反対したり反抗したり異議を唱えることはできても、歴史から退場させることはできない、無化することはできない、そう考えています。そして無化する道筋が見えない限り、自分が命と交換に考え詰めた果てに眠り込んだように、このブラックホールはどんなに知的に優秀な、あるいは倫理的に突き詰めた人物をも吸引してしまう。こうあるべき理想の社会というものが、人間の目ざす目的として消え去らないなら、このブラックホールは丸ごと掬い上げ、論理化して解明されるべき重要な問題だということになります。
アジア的という歴史段階は、農業を中心とする生産段階を意味しています。そしてアジア的という概念は、農業や林業、漁業といった大自然を直接に相手にする生産段階の社会が生み出す経済や社会、政治の制度、また宗教や思想・文学といった観念も含んでいます。従って、アジア的という歴史段階は先進的な社会ではとっくに通り過ぎていったか、ほとんど離脱しつつあるということになります。しかし、観念としてのアジア的な名残り、遺制というものは観念ですから残っていきます。そして観念はそれより大きな観念によって包括されないと消え去ることはありません。このアジア的という観念の問題の中に宗教が含まれ、その宗教の問題として天皇の問題があらわれることになります。そこまで舞台にあげて考えると、天皇の問題、また戦争中に吉本や多くの日本人が体験した体験的な観念の問題は、戦争の死者やその責任の問題という生々しい問題をさらに抽象化した次元で、古代思想そのものを問うという問題になっていきます。生や死、あるいは前世や死後の世界、また宇宙や自然、神や仏といった人間の考えうる限りの思考の規模を持っている古代思想の、その迷妄と偉大さというものがあります。その古代思想の規模を、現在の思想によって包括すること、古代思想の迷妄を削り取り、その偉大さ、人類の理想に繋がっている部分を現在の思想として包括すること、それが真にブラックホールを無化することだということになります。
そして古代の思想であるアジア的という観念を、さらに初源に遡って包括するために、アジア的の以前のアフリカ的という概念に吉本の追及は展開しています。そして今、若い日のノートに記していた死を迎えるという年齢に吉本自身がやってきました。眠り込むことをせずに、今も吉本は醒めています。