「僕は、自分が狂人であることを病理学的に承認してはならない。それは、僕自身に対する敗失であり、あの長かった人間の精神史に対しての、僕の冒涜(ぼうとく)でもある」(エリアンの感想の断片)

これは「エリアンの手記と詩」という吉本隆明の長い詩の一部分です。

―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえはあんまり暗い>―
―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは他人を喜ばすことが出来
ない>―
―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷
つける>―
―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは醜く愛せられないから>―
―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは平和が堪えられないのだ
から>―

このエリアンというのは吉本の自画像を託した物語詩の主人公です。このエリアン自身のこの世に生きられないという思いは、吉本が自分に感じていた思いと同じと見ていいと思います。これは「生まれてすいません」という太宰治の感性に似ています。もしも精神科に行って、ボクは暗いし、醜いし、他人を喜ばせられないし、人を傷つけるし、平和が耐えられないと訴えたらうつ病という診断をいただくことができるでしょう。そして薬もくれるかもしれない。それは外側から規定した病理の観念です。
しかしそれを医者がするのは、ある段階ではしかたのないことかもしれないが、自分自身がそれを承認してはならないと言っているわけです。医学に歴史があるように、人間の内在的な精神史にも歴史があります。そこで病気の中にあって考えてられ、表現されてきたものを冒涜してはいけないということです。考えることを手放すのは、人間の人間的な本質の核である精神史への冒涜なんですね。
ちゃんと理解して次に引き継ぐものなんでしょう。