「やがてわれわれの時代は、均衡の崩壊といふ現象につきあたるだろう。純然たる力学的均衡が人間精神の倫理的な性格を決定してゐるとして、この均衡の崩壊が、人間精神に何の変化を与えるかといふことは考察に値しよう。われわれの認識が少しも予言といふ機能をもたないとしても。この均衡の崩壊によって、人間のもっている組織に対する畏敬の滅したることは容易に考えられる」(断想Ⅷ)

何を言ってるのか分かりにくいので、少し噛み砕いて考えてみます。均衡というのは社会の秩序のことを言っているのだと思います。社会というものの主な要素は国家、企業、家族、そして個人というものだと考えてみます。こうした要素がある秩序を現実に保ち、その現実に見合った精神の秩序、すなわち倫理的な秩序があるとします。具体的に言うと、国家というものを信用して国民の義務を果たさなければならないとか、会社は社員の生活を守ってくれるから一生懸命上司の言うことを聞いて働かなくてはならないとか、家族は浮気をせず、子供の教育をしなければならないとか、個人は社会人として立派であるために煙草をすわず酒を飲みすぎず、風俗などにも行かないで道徳を守らなくちゃいけないとか、そういうことが信じられている状態が秩序です。なになにするべきだ、というのが倫理ですから、精神は倫理的な性格を持つわけです。
それでそういう秩序はやがて崩壊しちゃうだろうと吉本は言っているわけでしょう。現実に崩壊しはじめたら、その時倫理的に均衡を保っていた精神はどういう変化をこうむるのか考えるに値すると言っているわけです。それでその時には、組織に対する畏敬の念、つまり国家とか会社とか学校とか政党とか教団とかそういう組織に対して自分たちの上に立って良く導いてくれる優れた人たちがやってるんだから、それを尊敬すべきだという気持ちは滅しちゃうだろうと言っているんだと思います。
いまちょうど分かりやすく世界中が世界恐慌に突入し始めているので、吉本の考えを実感的に考えることができます。アメリカ、ヨーロッパの世界的な巨大証券会社や巨大保険会社や巨大銀行がバタバタと倒産しています。ドルやユーロの価値は落下し、株価は世界的に暴落しています。現実に起こっているこの現象がすなわち均衡の崩壊、あるいは世界秩序の崩壊です。そしてそれは今までの世界秩序を倫理的に信じていた個人個人の精神の中で何かが壊れていくことも意味します。そりゃそうでしょうここまでくれば。あなたの中でも壊れるものがあるでしょ?ここまで明白になったらさすがにウンザリするはずですよ( ̄曲 ̄)
つい最近まで支持率9割で小泉純一郎を信じ、小泉と楽しそうに笑いあうブッシュのアメリカを信じ、ホリエモンを信じ、郵政の民営化という言葉に隠された郵便貯金の私企業化を信じ、郵便貯金を信頼して預けていたお金を引き出して、上昇間違いなしの株式にアメリカ国債にドルに投資しましょう!儲かりまっせという広告を信じ、政府、新聞、テレビ、評論家たちのご託宣を信じてくっついていった人たちが、いまケツの毛まで抜かれてすっからかんになろうとしているわけです。アメリカ政府が公的資金の投入をいったん議会で否決された後、根回しをして可決しました。しかしいっこうに株の暴落は止まらない。それはアメリカ政府をもうアメリカ国民が信じないからです。つまりアメリカでも倫理的な秩序ってものが崩壊しているわけですね。
ここらで吉本の文章に戻りましょう。均衡が崩壊し、それに対応して精神の倫理的な崩壊も起こる。そして国家、企業といった組織に対する畏敬の念がなくなっちゃう。
確かにそういうことが起こっています。人間は自分の米びつがカラになった時に、始めて本気で考えるんです。あるいは自分の米びつに手を突っ込む奴が出てきた時に本気で怒る。老後の貯金が吹き飛び、ローンで買ったマンションから追いだされ、勤めていた会社がつぶれ、物価があがって毎月生活費の心配ばかりしている、そうなったら本気で考え本気で怒るヽ(`⌒´メ)ノ       はず
なんだけど、日本人はそうでもないんですよね。日本人というかアジア人の一般大衆はなかなか怒らないし、何に対してどう怒ったらいいか考えない長く深い習性を持っています。貧乏も戦争もしょうがない、ガマンすればいい、国家とか経済とかそういうことを考えるのはめんどくさい、それより自然があるじゃないか、社会が嫌になったら釣りバカになったり旅行したりペットを可愛がったり、そういう自然に親しむ清貧の思想のほうがなじみやすいや、そういうのが私たちアジアの民の習性ですよね。そういう面もあります。しかし私たちでもアジアを脱している面があり、その脱している度合いに応じてこの社会に君臨している組織への疑惑や怒りは生じます。
吉本が考えているのは、組織への畏敬がなくなったとしてどうするのか。じゃあ別の信用できる組織を捜そうじゃないか、ということでいいのかということだと思います。アメリカ政府を信じないで、EUの政府を信じようか、あるいは中国政府をとか、あるいは自民党を信じるのをやめて、民主党を信じよう、あるいは共産党をとか、そういうことなのか。そうではない、もっと原理的に考えない限り信じる組織を乗り換えても同じことだ、いずれひどい眼にあうと考えていると思います。人間には集団行動しなくてはならない必然があります。例えば橋を作るのはひとりじゃできないし、病気を治すんだってひとりじゃ治せない、鉄道だってひとりじゃ動かせない、そういう集団行動は必然的に組織というものを生み出します。そして組織の運営は必然的にトップダウンに、つまりトップが決断し部下が従うというような形にならざるをえない面があります。日々起こる事態にその都度全員で会議してというわけにはいかないからです。そういうトップダウン型の組織形態は滅したりしないでしょう。ではなにが滅するべきなのか。
それは国家とか企業という組織、すなわち公というものが個人、それから個人の性的な関係性である家族というものの上位にあるという観念の均衡です。そして滅するべきなのは、国とか会社と個人や家族が単に対立するんだとか、あるいは公に従うべきだとか、あるいはうまくバランスを取るのが大人の態度だとか、そういう観念についてあんまり原理的に突き詰められないで横行している通念です。じゃあ原理的に突き詰めると通念となにが違うのかというと、なによりも国家とか会社とかという集団、組織、共同性の本質は観念だと徹底的に知っていることが違う、ということだと思います。そしてそうした観念は天地と共に生まれたというような神話的な存在ではなく、人間がその人類史の中で自ら作り出したものだと知っていることが違う。そうした観念は、共同性の観念、共同の規範、共同幻想であって、共同観念というものは初源を持ち来歴をもっているわけです。原理的に言えば、自分たちが作ってきたものなんだから、自分達で変えることもできるし、無くすこともできるし、開くこともできるものです。だから共同性とか組織というものが、人間にとって必然的なものだとしても、その観念としてのあり方は初源から現在にわたってしっかり人間自身がコントロールしなくてはならないし、それは可能だと吉本は考えたと思います。つまり共同観念の首根っこと尻尾は押さえて暴走させてはならない、つまり人間の個人としてのあり方や家族としての自然な性的なあり方の上位に君臨させない、ということです。
もしそういう発想が一般大衆の次元でおのおのの腹の底から生じるならば、それは一般大衆の精神がアジアの停滞を脱したということです。そしてアジアを脱すると、ヨーロッパの近代につながって、実際に共同観念を把握しそれをコントロールしようとしてきた西欧近代の思想と実践とに繋がるわけです。そうして西欧の歴史を通過する。じゃあその通過した結果は世界はどうなったかというと、現在ごらんの通りの戦争と貧困と金融崩壊と世界恐慌の現実になったわけです。
だめじゃんllllll(-_-;)llllll
ダメといえばダメなんだけど、観念というものは観念として乗り越えることができますから、今まで人類が考えて乗り越えてきた観念の成果は引き継がれます。
世界の現実はひどいありさまでも、生み出されてきた思想の歩みはいつか世界を変えることのできる価値を持っています。だからそれを引き継いで私たちも歩むしかないんじゃないでしょうか。共同観念というものが神聖で絶対であった時代から、共同観念を意識でコントロールしようとした時代へ、そしてたぶん共同観念を無意識の底から把握し尽くして、とうとう本当にこの怪物の本性が腹の底から一般大衆が分かったんだという段階へ人類はいつか行くんじゃないかと思います。何度も血を流し涙を流し、何度もだまされ裏切られ米びつの中をすっからかんにされながら。