「人間の生存には意味がない。ただ結果がある」(断想)

憲法の前文にこの文章を入れてほしいと思いますね。日本国憲法前文「人間の生存には意味がない」それは憲法による憲法の無化です。あるいは相対化です。人の世にはルールというものが最低限でも必要で、それが人を助けもすれば苦しめもします。しかしルールが必要な段階よりも、もっと以前、もっと起源のところからルールというものは定義されなくてはならない。人間のルールを相対化するために、人間のすべてを相対化するために、人間の目が上の方に、高い高い上のほうに、あるいは下の方に、深い深い底の方に、昇ってあるいは降りていかなくてはならない。宇宙衛星のような高さから眺めるように、千年の古木として眺めるように人間の世界を見て、さてそれで何が見えるんでしょうか。あなたどう思います?苦しみを逃げることはできない、でも苦しみを遠くから見るようになることはできる。それであなたや私の苦しみはどうなるんでしょうか。眠れない夜、もたれるお腹、苛立つ神経、カチンコチンに固定されたイメージ、尽きない不安、それは癒されますかね?思想だとか観念だとか精神だとか、男の人はそういう難しげなことが好きだけど、カレとの生活、職場の辛さ、子供の心配、商売の苦労、ニンゲンカンケイ、そういうホントの苦しみまで届きますかね?届かなきゃなんにもなんないし、無縁でいてもいいものですね。それは届くのかどうかわかりません。しかし吉本は届かなきゃくだらないということは分かっている人ですね。ちゃんと泣ける人です。
では詩をどうぞ。

「よりよい世界へ」        吉本隆明

きみよりさきに ぼくが死ねば
世界はきみにしたがつて変わることになる
ぼくよりさきに きみが死ねば
世界はぼくに加擔するかもしれない
力のない響きで
一日中ぼくのとびらをたたくのは
ぼくにちかいひとびとの
それは訴えである

生活のなかから いはれのない
苦しさをとりのぞくために
ぼくも かれらのやうに
ぼくの友とするひとびとのとびらを
たたきたい
かれらは
風よりも空虚なひびきを
きく ぼくの生活よりも
ぼくの魂のなかに 惨劇が
おこなはれてゐるのを 知る

ぼくの唇のけいれんから
しめ木にしぼられたやうな声から
かれらは わかい肉体のなかの
意外に老いた魂をさぐりあてる
けつきょく
ぼくらの物語りはをはり
ぼくらは木の葉のやうにばらばらなこころで
わかれるのだ

約束を
  しよう
よりよい世界のために
ぼくが独りでゐたら
ぼくは死んでゐることを
ぼくがおおぜいでゐたら
ぼくは生きてゐることを