「コミニスト、ファシスト共に民族の独立を主張す。エリアンこれに不信。祖国のために決して立たず。人類のため、強ひて言へば、人類における貧しいひとびとのため」(序章)

社会主義を標榜するイデオロギーも、民族主義を標榜するイデオロギーも、ともに祖国のためという国家主義を超えられない。では貧しい人たちの側に立つという貧民の側主義は希望なのか。その吉本の当時の決意は、多くの現実と観念の津波をくぐりぬけていきます。そして現在にたどり着いた高齢の吉本に、新たな世界恐慌津波がやってきているわけです。社会に対する個人の倫理という問題を正面からまな板に置いて、これをネジの一本一本までばらばらに解体する、そして新たに作り直すとすればどう作り直すのか。この課題が私たち大衆の腑に落ちる段階が、新しい希望の装いをした世界倫理が雲の上から世界を覆いつくす段階より早く到来するのか、遅きに失するのか。それはわかんないけど、それが戦いですよ。

この詩は連合赤軍事件に向けて書かれたものだと思います。希望が、知力も気力も情緒もある人間を捉え、終には互いに殺しあうようなところにまで連れて行く。その恐ろしさに正面から向かい合ってきた吉本にしか書けない詩です。

<演技者の夕暮れ>に         吉本隆明

きみはさびしい笛の音いろをまたぐ
それから擦りつけられている弦弓の環をくぐる
舞台は風につづいている
袖は河原におりている
きみはす早く演じたかつた
視えないいちずな虹を
きみにとつてこの夕暮れは
いちまいのなだらかな舞台であつた

きみは観客にとつての観客
たれもが亡びることを望んでいるとき
亡びる時間をもたなかつた
きみは踏みはずしたかつたのに
世界は縁のない板であつた
きみは秘めていた
微風よりも濃い夢を銃でとめて
ちようど濯ぎ場で布を流している
少女たちに視えないひと束の由緒書を
書きつけられた埋蔵所を
<ここは どこの ちいさいみちか>
<天の河原の ちいさいみちぢや>
<きつと とおしてくれるか>
<無用のものは とおさない>
<ぼくの子の ちいさな祝祭に>
<風のお札をおきにゆく>
<このみち だめ>
<このこと だめ>
太陽が少女たちの腰に湛まるとき
胸の線よりすこし小さく曲つた
さびしい歓喜がとおりぬける
樹々をささえている掌のひらに
ちいさな<かくめい>の街がひとつ
もりあがつた墳墓が西と東にわれていて
そのあいだ とおる路がある
双曲線のようにそれて

風は死 空は死

香りのない乳房を埋葬しているとき
風がいつた<死んだんだ>というほどもなく
<死んだんだ>
死んだひとがまた死んだんだ
疑いに射られて
鳥たちは堕ちていく黒点である
世界は疑わしくないんだ
劇なんかなにもなかつたんだ
ただ死んだものがまた死んだんだ
そのために棺はとどかなかつたんだ

空の死に 風の死に