「一つの立場はそれを深く鍛化することによって多くの立場に変ずる」(形而上学ニツイテノNOTE)

吉本の思考の体操に即して言えば、例えば「原子力発電所の建設に賛成か反対か」という問題があるとします。第一型の思考の浸透によって考えるならば、原発の安全性とはいかなるものかを調べることになるでしょう。それは核という人類が発明したエネルギーについての知識にまで浸透していくものです。もしここで原発の安全性に一定の保留をつけた上で納得がいったとします。すると原発建設に対する立場が得られるでしょう。次に思考の拡散に従えば、核やエネルギーについての論議にもその立場から考察を発展させることができると思います。
第二型の抽象化されたものの更なる抽象化という体操としては、原発論議という抽象的な問題をさらに抽象化して、人間にとって科学とは何か?文明と自然とはどういう本質的な関係にあるのか?というような思考へ発展していくことができます。
第三型の感情の論理化、論理の感情化という体操としては、では自分の家の近所に原発が建つとするとどう感じるか。その時にやはり動揺するというなら、その動揺はいかなる論理によって生じるのかを考えるわけです。あるいは原発の肯定という論理を実際に具体化していこうとすると何が自分の感情にしこりとなってくるかを感じるわけです。
こういった思考の操作、あるいは考えることの展開は、多くの問題を引き寄せ、ある立場は多くの立場に変じる、そういうことを言っていると思います。

おまけです。
これは谷川雁に対する弔辞ではなく追悼の文章です。谷川雁村上一郎と共に吉本の発行していた「試行」という雑誌の同人でした。つまり吉本のある時代の同志のような存在です。長いのでところどころ省略します。

谷川雁」            吉本隆明

(前半省略)
かれにはひと筋固執するものがあり、死ぬまで貫かれた。ありふれた言葉で言えば「実践」ということになるだろうが、その意味は世の政治運動家や政治的知識人とまるで違っていた。かれらは有効な結果を得ようとして「実践」と称するたいていは不始末にすぎないことを仕出かすだけだった。
谷川雁が保った実践家の姿勢は、有効かどうかを第一義としなかったとおもう。
現実を文字どおり腕力で切り取って完結したひとつの世界にしてしまう実験が「実践」ということの意味だった。有効性など何ら誇るに足りない。それは時に応じ無効になったり、有害になったりするにきまっている。だが、切り取った現実をひとつの完結した世界にまで仕上げてしまえば、その有効性は崩壊するはずがない。これが谷川雁が生涯をかけて「実践」してやまなかったことだ。
(途中省略)
こういう資質を詩人的と言うのなら、かれの方法は詩人的だと言ってもいい。だが動くものとしての現実はあくまでも詩的なものだ。また逆に詩的なものこそが現実的なものだ。この確信がかれにしか歩めない微妙な軌跡をこしらえていった。それはかれの詩作品といっしょに不朽のものだと思う。