「猫のように身をこごめて一日を暮した」(風の章)

ひとりの方が楽だからひとりになって、そんで歩き回るんだけど歩きくたびれちゃって、どっかのベンチに座ってしょうもなく景色を見てる。そんなことがよくありました自分。ネコのようにというよりも、牛のようにかもしんないけど(/_・)
こんなんで社会で生きていけるのか心配でした。世界は賑やかで大自然は繁茂してるのに、自分のいるところだけは地下室のような感じでした。そして今わたしがなんか仕事をしてやろうと、その仕事は職業よりも大きな意味での仕事ですけど、そう思えるのは自分が地下室にいたし、今もいるというそこから沸いてきます。だったら地下室も悪いばかりじゃない。病的とか、障害とか、変人とか暗いとか言われるそのことを、その人自身が解けばいいんじゃないでしょうか。マジそうっすよ。

おまけです。死ではなく弔辞を載せます。これは試行という同人誌を一時期共にした文学者の村上一郎さんの葬儀における弔辞です。村上一郎は愛憎の日本刀で自分の頚動脈を切って自殺しました。この弔辞で吉本という人が分かります。

「哀辞」

村上一郎さん。こう呼びかけても、貴方は呼びかけること自体を信じていないだろう。死ねば死にきりである。親しく顔をつきあわせて文学の同行者であった時期も、著作を介してお互いの仕事を遠望してきた時期も、われわれが共感してきたことは、何よりもさきに書くことの態度であった。時勢はますますわれわれの態度に与せず、貴方の病いもまた最後には貴方の敵であった。貴方は、じぶんの態度の完成を、死に求めざるをえなかった。死は一切からの解放であるという声は、あの戦争に身をひたしたものに、ときとして訪れる誘惑である。貴方は、ふとそれを択ぶ気になった。優しかった貴方は、貴方の家族をも看護の労苦から解き放ちたいと思い遣ったかもしれないと想像すると哀しくなる。
ここ数年来、貴方の文学的態度は底をついていた。瞋るということ、哭くということ、声調ということ、これらの情念の初心を忘れているというのが、現在の文学と思想の全体にたいする貴方の批判であった。同意しがたいとおもったときも貴方の苦渋を推量することができたのが、せめてもの慰めである。いま、不意に、早急に、貴方は自刃した。現在の安物の文化の騒音から離れた一隅で、貴方の文学者としての態度に、王城の姿を描くことのできる少数の人々と共に、貴方の死を受けとめる機会をもったことを誇りにおもう。なによりも貴方は、自己と他者を律する学芸と詩歌の規範力によって卓抜であった。貴方の日常生活は古典的範型であり貴方の文学は倫理の模範であり、われわれのやくざな心を戦慄させた。
村上一郎さん。率直にいって、少しのすきがあれば押してくる貴方の鋭い切っ先は、心を休ませてくれなかったので、傍にいるのが辛かった日々もあった。貴方の孤独な営みの行方にはらはらさせられたこともあった。
いま、また、たくさんの悔恨をわたしの心に落として貴方は去ったのである。これらのことをよく噛みしめながら、なお、行けるところまで歩むことを赦して欲しいとおもう。さようなら、御機嫌よう。

昭和五十年四月一日
吉本隆明