「方法といふのは一つの意識性と言ふことが出来る」(方法的制覇)

これも断片的でわけのわかんないことが書かれている、と言えばそれまでですけど(  ̄3 ̄) たぶんこんなことが言いたいんじゃないかと思います。ここで方法と呼んでいるのは、ヘーゲルマルクスの世界認識の方法です。世界、あるいは世界歴史という概念は、ヘーゲルマルクスの方法でしか成り立たないという考えで使われていると思います。つまり言い直せば、科学としての世界認識とか世界史という概念は、一つの意識性なんだということになります。それは、じゃ無意識はどうなるんだ?ということを言っているわけです。意識性は抽象的な思考によって、普遍性を求める科学的な認識へと高度に上昇することができる。その頂点にヘーゲルマルクスがいる。一方、無意識は具体的な個々人のものである、ということを離脱できません。なぜなら意識に上らない個々人の、つまりあなたや私の心の奥の暗闇だからです。つまり人間というものは、どんなに意識の世界を鍛え上げて普遍性に到達したとしても、なおかつあなたや私が自分だけにしかわかんないし、自分で抱きかかえるしかない心の暗闇の部分を残すということになります。
それは科学が思考として個々人の具体的な内面性を分離して作るものだからです。そして世界認識とか世界史とかは社会科学ですから、もともと個人の内面性の領域に関与しないわけです。しかしやっぱりあるものは現実にあるわけで、どんなに圧倒的な社会科学、社会思想が登場しても、個々人の具体的な心は個々人の中に沈黙として存在します。そこで科学は拡張し、個々人の内面の暗闇まで普遍性を与えようとします。それが精神科学です。しかしやはり精神の科学も、個々人の内面の具体性を分離して成り立ちます。科学がどんなに総体性、普遍性を得ても、私たちの心には沈黙の形で、なにものも触れることのできない部分が残るでしょう。でもそれでいいんじゃないでしょうか。それが私たちが個人であることの根拠ですし、自由の根拠でもあると思います。

今回も詩でなく、ほぼ日刊イトイ新聞というサイトの吉本のインタビュー(部分)を貼り付けます。吉本は対談とか講演とかがとても面白い人です。芸人として面白おかしいというのとは違いますが、にじみ出る人間の面白さがあります。
これも読んでいて感心してしまったインタビューです。ではどうぞ。

(吉本) 勉強のできないのが、奇妙に幸いしたのは、
大学でおなじだったやつで。なまけもんの奴です。
同じグループだったけど、
これが、どうしようもない。
さぼってばっかりいるし、
お互いに、
「これで、だいじょうぶなのか?」・・・。
(糸井) (笑)
(吉本) そういう感じで、
単位をやっと満たすためには、
頼みこんでまけてもらったとか、
そういう奴でしたが、
あとで、一部上場企業で、割合、
大きな会社の社長になって、引退したんです。
「どうして、あいつみたいな奴が
 社長になったんだろうか?」
と、どこがいいのかを、
ぼくも、よくよく考えましたね・・・。
どう見たって怠けものだし、
授業は出ないし、なぜ社長かは、
不思議でしょうがなかった。
よくよく考えてみて、
やっと理屈づけたのが、
要するに、そいつは、あんまり、
「逸らさない」んだなぁ、と思いました。
(糸井) へぇ。「逸らさない」んですか。
(吉本) つまり、バカ話であろうと、
そうじゃない話だろうと、
こいつは、逸らさない。
人を逸らしたり、
逸らした言い方をしたり、
そういうことはないということが、
唯一で、「あ、それだ」って思ったんです。
きっと、下の人にも上の人にも
いろいろな面で、あいつなら、
「逸らさない」だろうなあ、ということが。
(糸井) つまり、はぐらかさないということですか。
(吉本) はぐらかさないです。
逸らさないで真っ正面から・・・
えっと、「大真面目」という意味では、
ぜんぜん、ないのですけれども。
(糸井) わかります。
(吉本) 「真面目」ということではないんだけど、
逸らさないという、最後に、
そいつのいいところとしては、
それが残ったんですよ。
「最後に残った」っていうのも、
おかしいんだけど、
「他に理由はないな」って、
ぼくは感じるところがありました。
その「逸らさない」ということで言うと、
たしかに、そいつは、すごかった。
同級生を見ていても、
ある話題では逸らさないところがあるけど、
他では逸らすとかいう場合が、そうとう多い。
その視点で見ると、こいつはどんな人でも
どんな話題でも、逸らさないな・・・と。
ああこれだよ、ここだったんだ、と思いました。
(糸井) 「人をナメない」
っていうことなんでしょうね。
(吉本) そうなんです、そうなんです。
あの、どんな話題でも逸らさないのは、
どんなバカ話でも、逸らさないんです。
かと言って、真面目な話も、
嫌がりながらも、逸らさない。
(糸井) ほんとに嫌なら、
怒るという意味で、
逸らさないんでしょうね。
(吉本) (笑)そうそう。
しかも「単なる社交家」の感じもしない。
そう感じさせずに人の話を逸らさないのは、
そこだなあ、と思いました。
そこしか残らないな、こいつは、と。
珍しいんだろうなあと思いましたけどね。
まあ、今でも
そいつとは、時々、上野公園なんかで、
バッタリ会うということがありますけど。
でも、逸らさないというのは、
それはほんとうに、
たいしたもんだなあと思えるんです。
(糸井) 今の話に、
吉本さんの友達の人柄が
何気なく出ていて、
「人柄」と「逸らさない」とが、ふたつ、
セットになっているなあと思いました。
それ以外のところを見ていても、
人というのは、わからないでしょうね。
(吉本) そうですね。そういうことがあるんですね。
いやあとにかく、その他には、
どこといって取り柄もないし怠けものだし。
どうしようもないというか、
どうしようもないグループの
どうしようもない奴でしたけれども、
よくよく考えると、
「逸らさないこと」が残りました。
それはやっぱり、
たいへんなことだなあってふうに考えて、
ぼくは自分のことを見ると、
「俺はそうはいかないからなあ」
という風に、思います。
(糸井) え?
吉本さんは、
そういう風には、いかないですか?
(吉本) いかないですよ。
(糸井) その人は、もっとすごいんですか?
僕は吉本さんのことを、
「いちばん、逸らさない人」
だと、思っていましたけど。
(吉本) 割合には、そうかもしれませんが、
やっぱり、逸らしたり、
いいかげんに応対したりすることが、あります。
意識的にそうだ、ということではなくて、
逸らさないようにしていても、
やっぱり、逸らしてしまいますよ。
(糸井) そうですか?
(吉本) だけど、
その社長になった奴は、
そういうところに関してだけは、
「おおっ。ちょっと、すごいな」
と思うくらい、よく逸らさないでいます。