2008-01-01から1年間の記事一覧

「批評家だけが批評をなし得る」(原理の照明)

ここで批評家と言っているのは、批評をすることから逃れられない資質を持つ者という意味です。批評家という職業をやっているという意味より、もっと根深いところを指しています。批評的であるしかありようのない資質のことです。それはどういう資質なのか。 …

「精神はやがて社会化せられるだらう」(原理の照明)

ここでは25歳の吉本が敗戦後はじめてマルクスを知り、その思想を辿っている姿が顕れていると思います。社会の中の人間、つまりあなたや私が取りうる精神的な態度の理想は、この社会とか歴史とかの大きな視野を手に入れるということになるでしょう。 しかし現…

「優越に向ふ心理に対してこそ、人間は生涯を企して闘ふに値ひする」(原理の照明)

私達は物心がついた時にはすでにどこかへ向かって歩いている、あるいは歩かされていることに気がつきます。それは親が学校が周囲がそのようにしむけているからです。勉強のできない方から出来る方へ。スポーツのできない方から出来る方へ。怠惰な方から勤勉…

「偶然はしばしば焦燥を抱かしめるが、その焦燥は偶然を必然と感じるところから由来する」(原理の照明)

ここで必然という言葉で指しているのは内面的な必然性のことだと思います。自分の心の奥にある願望とか怒りとか資質とかが原因となって自分の精神が形成されますが、その自分の意思ではどうにもならない、既に決定づけられた自分の核から生じるものを必然と…

信ずるものひとつなく、愛するものひとつなく、そのうへ動かされる精神の状態がすべて喪はれた時、生きることが出来るのか。生きてゐると言へるのだらうか。 世界は明日もこのやうに寂しく暗い(エリアンの感想の断片)

日本の敗戦は吉本に深刻なショックを与えています。敗戦後の自分を「恥ずかしくてしょうがなかった」と吉本は書いています。私はこの「恥ずかしい」という敗戦時の感想を他の人の体験記から読んだ記憶があまりありません。もちろんそういう思いを抱いた人は…

思想家のゐない国―不思議な国ジャポニカ。芸術家のゐない国―ああ彼ら物まね師の精神は僕を慰めない。 すべてのものを小人のやうに均等化する精神によって、ジャポニカはその社会の秩序を維持してきた(エリアンの感想の断片)

この文体には、ナルシズムもあり自己劇化したい(自分を主人公にしたい)ところからくる誇張も感じられます。平たく言えば少しカッコつけているところがあります。それでも、こうした言葉の背後には本当の怒りと自己嫌悪が感じられ、読むに耐えさせます。 そ…

「希望の放棄ということは、絶望の消極的受容といふことを必然的に招来する」(風の章)

これはこれだけを読めば、当たり前のことを言っているだけのように思えます。何に対して希望とか絶望とか言っているか分からないから、形式的に読んでしまうからでしょう。しかし、初期ノートのこの文の前後を読むと、だいたいどういうことが言いたいかが分…

「表現はやめることが出来るが思考はやめることが出来ない」(序章)

これもこれだけ読めば、当たり前のことを言っていると思えるだけでしょう。小説家が小説を書くのをやめても、彼は思考をやめることはないわけですから。しかしこれも初期ノートの前後を読めば言いたいことはだいたい分かります。 ここで吉本がこだわっている…

「そして愛はた易く憎悪に変わる。僕は愛してゐる者が遠ざかつていったのを知ってゐる。人間は誰もそうなのだが、遠ざかるとき一様に残酷で冷淡なものである。その時憎悪を与えずに遠ざかる者は稀だ」(夕ぐれと夜との独白)

ここで「遠ざかっていった愛している者」がどういう人を指しているか、よく分かりません。恋人を指しているのか、友人・知人を指しているのか。両方なのか分からない。おそらく恋人を指しているのではなかろうと思います。恋人が去るときには、たぶん吉本は…

「僕は常に孤立した少数者を信ずる」(エリアンの感想の断片)

エリアンというのは若い頃の吉本の詩の中で、吉本自身を託した主人公の呼び名です。孤立した少数者を信じるというのは普遍的に正しいわけではありません。孤立した少数者が間違っていることもあれば、多くの人の選択が正しいこともありえます。しかしここで…

「僕は現実の社会なるものが、独りの人間に無限の可能性を以って、あらゆることを汲み尽す場を提供するものであると思ふ。しかも、それは他との関連なしにも。」(下町)

以前にも書きましたが、吉本は工科の大学を卒業した化学者です。自然科学の考え方が身についているのが吉本の特徴です。科学は自然の中から法則を発見しますが、自然を把握し尽くすことはできません。しかし把握しつくそうという欲望がなぜか人間の中にある…

「人間の精神には元来信ずるという機能は存在しないのだ。だが、このことを血肉化するのは容易ではない。僕が当面してゐる第一の問題であるといふことが出来る。」(下町)

信じるというのは何かの絶対性を疑わないということです。一方、考えるというのは疑うということに等しい。そして考えるということは常に未知に向かうということです。例えば政治について考えるのは、政治を疑うからです。そして新聞やテレビで流通する通念…

「夕ぐれが来た。僕は、生まれ、婚姻し、子を産み、育て、老いたる無数のひとたちを畏れよう。僕がいちばん畏敬するひとたちだ。どうかあのひとたちの貧しい食卓、金銭や生活や嫉とやのあらそひ。呑気な息子の鼻歌。そんな夕ぐれに幸ひがあるように。」(風の章)

日暮里駅のそばの夕焼けだんだん(だんだんは階段)と呼ばれる高台から谷中千駄木あたりの下町を眺めると低い家並みが広がっていくのが見渡せます。これを見て若い吉本は住まいをここいらにしようと決めたそうです。この文章はそうした光景をイメージして書…

「僕のいちばん軽蔑(けいべつ)してゐるひとたち。学者やおあつらえ向きの芸術家や賑やかで饒舌(じょうぜつ)な権威者たち。どうかこんな夕ぐれは君たちの胸くその悪いお喋言(おしゃべり)をやめてくれるように」(風の章)

これはゼミの前半で取上げた文章の続きの部分です。知識人、芸術家、権威者とは政治家とかいわゆるオピニオンリーダーと言われるような人たちのことを指しているのだと思います。吉本の若い頃に現存していたそうした人々への怒りがこもっている文章です。そ…

「信ずるといふことは現実と自覚との断層を繋ぐことである。この断層が人間の主体性の象徴である。全ての弁証法は必然的に信ずる機能を強要する」

なまの現実に対して、現実に対する認識はつねに不十分で、追求を続ける途上のものとしてしか存在できません。認識を正しく扱うには、その認識が成立する範囲というものを知っていなければなりません。その範囲を逸脱すると、どんなすぐれた認識も思想も迷妄…

「信ずるといふことと不信といふことは全く同義だ。信ずるといふことは、排除される以前に、存在しないのである(虚偽といふものの定義)」(下町)

この文章は表現が不十分なため分かりにくいと思います。それは表現した吉本の責任です。不十分な表現は無理に分かろうとする必要はなく、分かるところだけを感じ取って離れればよいのです。またこうした他人の文章に対する態度も吉本から教わったものです。 …

「すべてを賭けて脱出しよう。僕にだって夜明けは来ない筈はない」(原理の照明)

これは頑張ろうということを言っているわけです。 あえて解説を加えるならば、いったい何からそんなにすべてを賭けて脱出したいのか?ということになります。 吉本は詩人として「エリアンの手記」というリルケ風の詩から出発しました。しかしこの詩の世界の…

「人は、自らを知るのに半生を費やす。その後で仕事が始まる」(原理の照明)

一般的には二十歳前後で学校生活を終えて仕事を始めるわけですから、半生を費やしてから仕事を始めるのはのんびりしすぎということになりましょう。 従ってここで言われている仕事とは、吉本隆明の独自の意味が込められていると考えるしかありません。吉本が…

「僕の精神をあの古い哀愁の秩序に引きもどしてはならない」(原理の照明)

この世界が富める少数者の、一般大衆への支配によって秩序づけられている、という認識を一度「視た」者は、その認識から逃れることはできません。その秩序は観念によって支えられています。そしてその観念が左脳に宿るものとすれば、右脳に形成されるものは…

「独立不屈の精神はこの占有せられた現実を引き裂いてゆく。すべての従属の匂ひを避けよ」(原理の照明)

一般大衆はほんの数十坪の家やマンションを所有するのがせいぜいで、その家を一歩出れば自由に出入りできる空間はありません。巨大な資本と国家が所有する空間の中を虫のように歩いて、仕事をしたり金を預けたり借りたり、食事をしたり買い物をしたり、遊ん…

「他人を非難することは出来る。だが、自分を非難し罰するのは自分だけであることは知ってゐる必要がある。謙譲といふことはここからしか生まれない」(少年と少女へのノート)

これに似た言葉で、吉本がよく引用する太宰治の言葉があります。それは「人は人に影響を与えることも、与えられることもできない」という言葉です。 さらにつながりのある言葉で、吉本がよく引用する親鸞の言葉があります。本がないので正確な引用はできませ…

「薄弱な精神が強烈すぎる現実を歩むさま――様々の自死となって典型的に出現してゐる」(少年と少女へのノート)

自死とは自殺のことですが、吉本隆明は自分の心も死というものに親しい、つまり自殺を考えたり、死について想うことが多いとたびたび書いています。 なぜ自殺をするのか、それは薄弱な精神が強烈過ぎる現実に押しつぶされるからだ、というのがこの文章の意味…

「そこで僕は考へる。何が僕にとって成長であったらうと」(春の嵐)

「そこで」というのはどこでなのかを分かるために、この言葉の前に書かれた文章を紹介します。 「風は今日、冷たい。雲のありさまも乱れてゐる。 僕は少年の時、こんな日何をしてゐただらう。街の片隅で僕ははっきりと幼い孤独を思い起こすことが出来る。執…

「不安ほど寂しいものはない」(少年と少女へのノート)

これだけ読んでも分かりにくいのですが、やや強引に解釈してみたいと思います。 ふつう不安と寂しさは結びつかないと思います。不安は分からないことへの緊張ですし、いっぽう寂しさは情緒であって、情緒は緊張してたら解放されないものだからです。 たぶん…

「豊かな精神は泉のやうにわきあがる。貧しい精神は、沼の干割れのやうだ。それは時代の干割れを反映するのだ。これはお前たちの罪ではない。」(少年と少女へのノート)

これは前の言葉と同じことを別の角度から言っています。おそらくは欧米の豊かな文化的な土壌から生まれる文化・芸術と、日本の敗戦期の貧しい社会から生まれる文化・芸術を並べているのでしょう。 それは敗戦の時に少年少女である者たちの罪ではないわけです…

「薄弱な精神は現実の前にすくんでしまふ。このすくみは、何処から来るか。劣性意識」(下町)

これだけの言葉では分かりにくいですが、この言葉の背景には吉本の、個人の心と時代との関係についての考え方が存在しています。それは重要な考え方です。 私達は通常、個人の生活から生まれる悩みは個人の悩みとして考え、社会については新聞だの評論だのか…

「個性に出会ふ道と、空想を脱する道とは決して別ではない。むしろ同じことを別な表現でしているに過ぎない。」(夕ぐれと夜との言葉)

「オマエは青いね、現実はそんな甘いもんじゃねえよ」という新橋の飲み屋で中年サラリーマンが学生とか新入社員にセッキョーする言い方と、「現実ってタイクツじゃないですか。だからフィギアとかアニメとかにハマるボク達を責めるのは、タイクツな大人の嫉…

「論理は、その極北において個性と出遭ふ。苦しいがそこまで行かう。」(原理の照明)

この言葉は「待ってました!大統領」という感じです。私が一番印象に残った、ということは読後30年くらい忘れなかった言葉です。吉本の初期を一つだけの言葉で表せ、と言われたらこれを挙げるでしょう。 左脳で覚えた言葉がイメージとして右脳に浮かぶ、とい…

「僕は倫理性のない思想を尊重することができない。」(少年と少女へのノート)

倫理とは善悪のことですが、吉本隆明は倫理について若い頃から深く考えてきました。このテーマは大きく、全てを解説できませんが、いくつかのポイントは挙げることができるので、皆さんの考えの参考にしてください。●善悪についての考えも思想ですが、思想は…

「青春とはやりきれないことの重なる地獄の季節だ」(少年と少女へのノート)

吉本隆明の表現の魅力は、一方では骨太で本質的な論理性なわけですが、もう一方ではその論理性が赤裸々な情動や内向的な感受性を裏面に張りつけていることにあると思います。つまり腹の底からの怒りや、精神を危うくするほどの苦しみ、あるいは率直な愛情や…