信ずるものひとつなく、愛するものひとつなく、そのうへ動かされる精神の状態がすべて喪はれた時、生きることが出来るのか。生きてゐると言へるのだらうか。 世界は明日もこのやうに寂しく暗い(エリアンの感想の断片)

日本の敗戦は吉本に深刻なショックを与えています。敗戦後の自分を「恥ずかしくてしょうがなかった」と吉本は書いています。私はこの「恥ずかしい」という敗戦時の感想を他の人の体験記から読んだ記憶があまりありません。もちろんそういう思いを抱いた人は大勢いたと思います。しかし思いをそのまま書くのは誰にでもできるわけではありません。とても鋭く率直な倫理的な告白だと思います。
吉本は戦争中、戦争死で終わる自分の青春の運命を信じ、自身に対する思い、家族、友人、愛する人への思い、大衆、社会、国家、天皇への思いをひとつの思念のかたまりにまで凝縮したに違いありません。それは吉本だけでなく、当時の若者が強いられた必然だったのです。その過程には多くの日本人同胞の戦争死があり、その中には吉本の親族や友人も含まれていたのだと思います。吉本は日本が勝つと思っていたわけではなく、負けるとしても徹底抗戦をして本土決戦の果てに全滅のような形で負けると信じていたのだと思います。それが無条件降伏という形で負け、吉本も傍聴に通った東京裁判の屈辱的な判決に続き、なんのゲリラ戦も地下組織も形作られぬまま、だらだらと戦後の日常に繋がっていったのです。
その中で吉本自身も何もできぬまま、時に笑い、時に憩いまで感じながら生きている。そのことが「恥ずかしくてしょうがない」と感じさせています。その恥の、劣等性の、内向性の、屈辱の思いをどうしたらいいか。その思いを注ぎこめる相手、吉本のような徹底した、病的なほどの論理癖と感性的な率直さをもった若者が共感できる表現者や行動者を、当時吉本は見出す事ができなかったのだと思います。
ここで吉本の書いている心情は素直な心情ですが、論理癖はついてまわっています。死とは何か?それはすべてが止まって対象を見出せないことだと考えていると思います。心情も、愛情も、思考も、従って行動も、生活も、仕事も、対象を見出す事ができない。それが死なのだと考えています。実際の自殺死はその延長に、契機があれば訪れるものだということでしょう。生きながら死んでいるから、行動として自殺するのです。
現在、生きながら死んでいる若者がたくさんいます。それは対象が見出せないから生きながら死ななければならないのだと思います。病名をどうつけようとも、病者として柵の向うに隔てようとも、彼が生きながら死んでいることの責任は、彼が魂を注ぎ込むだけの対象となりえない環境が負うべきだと思います。しかし彼が追求を続けるか、諦めて首をつるのかはやはり彼の問題です。そこまで思いつめるには、やはり吉本自身の胎児、幼児期からの成育の問題があり、誰もがそんなに論理癖を抱くわけでも、暗く思いつめるわけでもありませんが、それでも同種の人間、文学などに惹きつけられていく、暗い、非モテ系の当時の若者たちにとって、吉本は生きながら死んでいる状態を脱するには、さらに徹底的に追求を続けるしかないのだと身をもって示してくれたほとんど唯一の存在だったと思います。