「薄弱な精神が強烈すぎる現実を歩むさま――様々の自死となって典型的に出現してゐる」(少年と少女へのノート)

自死とは自殺のことですが、吉本隆明は自分の心も死というものに親しい、つまり自殺を考えたり、死について想うことが多いとたびたび書いています。
なぜ自殺をするのか、それは薄弱な精神が強烈過ぎる現実に押しつぶされるからだ、というのがこの文章の意味でしょう。この薄弱というのは吉本自身も含めて言っているので、自殺した者を軽蔑する言葉ではありません。この言葉からは、吉本が戦後の敗戦後の社会を暗く捉えていることが分かります。敗戦後の社会を解放と捉え、明るい社会の到来を信じた人も多くいました。また、敗戦の悔しさを欧米を技術的に追い抜くことで晴らそうとした、TVの「プロジェクトX」で描かれるような人々もいました。
その中で、吉本は敗戦後の社会を自殺に追い込むほどの暗い社会だと感じているわけです。
そのことについて、後年吉本は以下の意味のことを書いています。その暗さは、戦時中は徹底抗戦すると勇ましく言いながら、敗戦と同時にリュックサックいっぱいの物資をかついで、戦地から引き上げてきた復員兵士の姿に象徴される。それを吉本たち学生は軽蔑の目で眺めている。一方、復員兵士の方も「おまえ達学生がだらしないから戦争に負けるんだ」というような軽蔑の目で見返している。
その日本人同士が相互に軽蔑しあった惨めさが暗さである。吉本はもし国内で徹底抗戦をする動きがあれば、自分も参加しようと新聞等の情報に目を凝らしていた。しかし徹底抗戦をする動きはどこにもなかった。そして吉本自らも、自身が徹底抗戦の動きを作り出す力量もなかった。なぜ日本人は一般大衆自体の決断で徹底抗戦や革命の動きを作り出すことができないのだろう。
ここで吉本は日本人に絶望します。それは日本人である自身にも絶望することです。
占領しているアメリカと欧米の列強に負けたという絶望と、その敗北を一夜にして受け入れ、羊のようにおとなしく従っていく日本人の姿に対する絶望で絶望は二重だった。この時に、日本人に絶望したのではなく、ただ敗北に絶望しただけの人たちは、欧米を超えようと頑張った技術屋たちであり、あるいは日本を経済的に軍事的に欧米に伍するようにしようとした自民党の政治家たちであった。しかし日本人に絶望するという二重の絶望を感じた者は、いつまでも解放できない暗さを背負ったまま、少数派として日本人の根底を抉り出すような孤独な探求に向かわざるをえなかった。
吉本が敗戦後の若い時代に現実社会に対して感じていた暗さの背景には、以上のような経緯があります。もちろんある社会を単純に暗い、明るいとは言えません。戦時下にも明るい部分はあり、平和の下でも暗い部分はあります。しかし吉本のような感じ方を秘めていた人にとっては、敗戦後の現実は自殺に追いやるほどの過酷さをもったものだと言えるでしょう。