思想家のゐない国―不思議な国ジャポニカ。芸術家のゐない国―ああ彼ら物まね師の精神は僕を慰めない。 すべてのものを小人のやうに均等化する精神によって、ジャポニカはその社会の秩序を維持してきた(エリアンの感想の断片)

この文体には、ナルシズムもあり自己劇化したい(自分を主人公にしたい)ところからくる誇張も感じられます。平たく言えば少しカッコつけているところがあります。それでも、こうした言葉の背後には本当の怒りと自己嫌悪が感じられ、読むに耐えさせます。
それはやはり敗戦です。人が大勢死んでいるという重さです。その中には自分自身のかけがえのない人も含まれているという怒りと後悔があります。べつに難しいことはないので、本当の思想というのは知識人の世界の中だけの頭の良さの競い合いなどではなく、本など読んだことのない人でも人間として分かるようなこうしたシンプルで重い現実の痛みから出発しています。
ここに書かれているのは、日本とは何か。なぜ日本には欧米のような論理の構築物としての思想が存在しないのか。それに対応する精神の立体性としての芸術が存在しないのか。なぜ日本人は戦争中は戦争謳歌の国家イデオロギーに従い、国家が敗れるとなんの抵抗もできないのか、そういった問題です。
それを自ら答えようとしたのが吉本の仕事の歩みの全てですが、その膨大な経緯はとても書ききれません。ただ現在のような第二の敗戦と呼ばれるような外国資本による政権と金融とマスメディアの支配のもとで、かって占領下の焼け跡の社会を歩いていた吉本のような人物の怒りと内向が、自分の身近な感受性として感じられることは確かです。私達日本人は相変わらず、思想も芸術も物まねで、小人のように均等化された見解を得意げに披瀝している連中に囲まれているとも感じます。しかしもはや吉本の若い頃のような詠嘆は禁じられています。なぜならば少数の吉本のような人たちの戦後の歩みがあるからです。ここで詠嘆で終われば彼らの歩みは埋もれてしまいます。そこにある意味では、戦後の思想の二代目である私達の、二代目の苦労があります。